史料に名前がない!“扇の的”の伝説的武将・那須与一は実在せず「複数人の合体」だった? (3/3ページ)

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道の駅「那須与一の郷」の与一像

京都の即成院には与一の墓があります。そこでは、那須与一は戦後に病を治して屋島へ向かい、出家して34歳で亡くなったという伝承も残っています。

しかし、この寺の縁起も室町時代に形成された「与一伝承」である可能性が高いとされます。

もちろん、史料に名前がないからといって、実在しなかったと断定できるわけではありません。ただ、華やかな扇の的の物語と、同時代史料に残る情報との間には、大きな差があります。

那須与一が実在した一人の武将だったのか、それとも複数の武将の記憶が一人の英雄にまとめられたのか。少なくとも、現在知られている「伝説の那須与一」が、そのまま史実だったとは言い切れないのです。

参考資料:日本史探求倶楽部『日本史裏話』株式会社アントレックス、2026年
画像:PhotoAC,Wikipedia

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