史料に名前がない!“扇の的”の伝説的武将・那須与一は実在せず「複数人の合体」だった? (2/3ページ)
さらに、「与一」という呼び名は那須氏だけのものではありません。佐奈田義忠や浅利義遠など、同時代人にも与一を称した人物がいました。
この三人を合わせて「源氏の三与一」と呼ぶこともありますが、これは17世紀以降に広く定着したものと考えられており、比較的新しいものなのです。
つまり、現在よく知られている「那須与一」という名前そのものにも、後世の伝承が入り込んでいる可能性があります。
実在か、非実在か那須与一の伝説を考えるうえで、特に重要なのが『吾妻鏡』です。これは鎌倉幕府が編さんした重要な歴史史料で、先述した屋島の戦いについても記録されています。
ところが、その詳しい記録の中に、那須与一の名前は出てきません。「扇の的」の話もありません。
『平家物語』では、与一は基本的に屋島の場面だけにかろうじて登場しているだけ。一ノ谷や壇ノ浦など、ほかの大きな戦いには名前すら出てきません。
このため、屋島での英雄的な活躍が、後世に面白いストーリーとしてとして大きく膨らまされた可能性が指摘されています。
『平家物語』が琵琶法師らによって語られるうちに、実在した武将たちの断片的な活躍の記録が一人の英雄へ集められた、と考えることもできるでしょう。