光明皇后の「慈悲深さ」はイメージ戦略?聖徳太子伝説を利用した「聖女化」の真相 (2/3ページ)
日本でも持統天皇が仏教を信仰しており、光明子も皇后になる前から福祉活動を行っています。藤原氏の氏寺だった興福寺に悲田院と施薬院を設け、孤児や貧しい人々を助け、薬を与えたり治療したりしていたのです。
この活動には、中国の武則天が設けた悲田養病坊という先例もありました。光明子の活動は慈善であると同時に、仏教を通じた国家と福祉の思想を取り入れたものだったと言えます。
太子との接点しかし、慈善活動を大々的に宣伝すれば、売名行為と受け取られる危険があります。そこで効果的なのが、本人ではなく先人の行いを受け継いだという物語でした。
その舞台として登場するのが斑鳩です。
長屋王が殺害された729年から10年後の739年、行信という僧が、厩戸王(聖徳太子)が住んでいたとされる場所で焼失した宮殿を再建しました。
これは現在の法隆寺東院にあたる施設で、当時は上宮王院と呼ばれていました。中心となる夢殿は八角円堂として知られ、再建には光明子も多額の資金を提供しています。
さらに行信は夢殿に救世観音の立像を安置しました。救世観音は人々の苦しみを救う仏とされ、ここに聖徳太子に関する伝承や逸話も集められます。これらが夢殿文書と呼ばれ、現在まで伝わっているのはご存じの通りです。