『豊臣兄弟!』秀長の長女・末(池端杏慈)と結婚するも17歳で急死…秀長の後継者・羽柴秀保の生涯【後編】 (3/5ページ)

Japaaan

風に吹き散る桜の如く17歳で急死

吉野の花見を楽しむ秀保(イメージ)

翌文禄3年(1594年)に秀吉が催した吉野の花見では、秀保も参加して秀吉・秀次・公卿の菊亭晴季(きくてい はるすえ)らと共に和歌を詠んでいます。

ちりそふ(散り添う)も よしやおしまし(惜しまじ) 芳野山(吉野山)
花を木かけ(木陰)の 雪となかめて(眺めて)

中納言秀俊(秀保)

※『太閤記』巻十六「吉野花御見物之事」より

【歌意】吉野山の桜が、より激しく散っているが、まぁ惜しみますまい。木陰に積もった花びらを、雪に見立てて楽しもうではありませんか。

まだ16歳でこの感性。その鋭さに感じ入るばかりです。風に吹き散る桜の花を、秀保はどんな思いで眺めていたのでしょうか。

また同年3月に秀長長女と正式な婚礼を上げました。当時は社会的な結婚適齢期が8歳(七五三が過ぎれば人間扱い)だったため、秀長長女がそのタイミングであったと考えられています。

続く同年5月23日に明国の使者である沈惟敬(しん いけい)が秀吉と謁見した際は、名護屋城でこの席に立ち会いました。

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