【豊臣兄弟!】あさひ(倉沢杏菜)が家康と強制結婚!悲劇的な末路の真相、引き裂かれた夫婦の絆… (3/5ページ)

Japaaan

兵庫県新温泉城)を任されていましたが、天正10年(1582年)に本能寺の変が起こると、その混乱によって城を奪われてしまいました。

これが秀吉の不興を買い、あさひと離縁させられたことが江戸時代の歴史書『武家事紀』に記録されています。また江戸時代の随筆『塩尻』によると、秀吉が5万石の加増を条件にあさひと離縁するよう迫ったところ、吉成は妻を5万石で引き渡すことを恥じて出家・隠棲しました。

『武家事紀』と『塩尻』を総合すると「秀吉は城を奪われてしまった吉成に対して、体よくあさひと離縁させるために5万石の加増を提示。しかし吉成はこれを恥じて出家・隠棲して身を引く」という流れになりそうです。

大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、吉成の失態については言及されていないため、果たしてどんな展開が描かれるのでしょうか。

家康との結婚後

朝日姫と家康(画像:Wikipedia)

かくして夫と離縁して家康と政略結婚したあさひですが、彼女がその後どうなったのかが気になるところです。

当時家康は45歳、あさひは44歳で年齢的には釣り合っていると言えるでしょう。しかし既に子供を生むのは難しく、そもそも前夫との間にも子供はいませんでした。

駿府(静岡県静岡市)に住んだことから駿河御前と呼ばれるようになったあさひは、どんな思いで敵中に身を置いていたのでしょうか。

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