日本初の女子帝大生・丹下梅子とは?片目の失明を乗り越え、40歳から科学の道を切り拓いたその生涯【前編】 (3/3ページ)
後編では、48歳からのアメリカ留学、ジョンズ・ホプキンス大学での博士号取得、帰国後の研究、67歳での農学博士取得、そして82歳まで科学と向き合い続けた梅子の晩年までをたどります。
次回の【後編】につづきます。
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辻きよ『先覺者丹下先生』(1953 日本女子大学香雪化学館「丹下賞」設立委員会) 蟻川芳子・宮崎あかね『白梅のように――化学者丹下ウメの軌跡』(2011 化学工業日報社) フジネットワークシステム九州編 『We love九州 : それは九州に始まった 』3(1989 海鳥社) 原口泉「【歴史のささやき】志學館大教授・原口泉氏 日本初の女子帝大生・丹下ウメ、リケジョの先駆け」『産経新聞』、2016年3月25日。日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan


