『豊臣兄弟!』で亡くなった羽柴秀勝は3人いた!江姫の夫「3人目の秀勝」の知られざる正体 (3/4ページ)
果たして真相はどうだったのか、今後の究明がまたれます。
キリシタンに憧れた?
小吉秀勝は天正13年(1585年)9月に近江勢田城(滋賀県大津市)を与えられました。
その翌月に江姫(西川愛莉)を正室に迎え(時期については異説あり)、後に一人娘の豊臣完子(さだこ)を授かっています。
小吉秀勝は天正15年(1587年)の九州征伐で初陣を飾り、5千の大軍を率いて秀吉に従いました。
赤間関(山口県下関市)から小倉(福岡県北九州市)に上陸し、攻め落とした豊前馬ヶ岳城(福岡県行橋市)に入ります。
続く岩石城(がんじゃくじょう。福岡県添田町)攻めでは総大将を務め、力押しの末に奪取しました。
同年5月には島津義久が降伏して九州征伐は終結し、小吉秀勝らは凱旋します。
途上の博多(福岡県福岡市)で宣教師らと交流し、キリシタンに興味を持ったそうですが、秀吉が発した伴天連追放令の影響によって受洗は叶いませんでした。
その後も小吉秀勝は活躍しますが、詳しくは後編で紹介いたしましょう。
次回【後編】に続きます。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の考察はこちらの記事でも紹介しています。合わせてご覧ください。