【豊臣兄弟!】残虐無能な殺生関白は捏造?母に愛された秀次(山田涼介)粛清は豊臣滅亡を招いた最大の冤罪 (3/12ページ)
ドラマの母息子関係の展開を振り返りつつ、今回は史実でも母に愛されていた名君・秀次の功績を探ってみました
秀次と前野長康。秀次失脚に連座し、長康も切腹する運命に。(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)
ドラマでは幼い頃から相思相愛の親子幼い頃の万丸(のちの秀次)は、ともの後を追いかけ回す甘えん坊で、母はそんな息子を目の中に入れても痛くないほど可愛がっていまた。
そんな子を、秀吉・秀長兄弟からの命令で、宮部継潤(ドンペイ)に人質として差し出した時のともの慟哭や、「お腹の弱い子だから」とお手製の撫子刺繍入りの腹巻きを渡した場面は忘れられません。
一番可愛い盛りで見守りたい時期に養子に出した子が、無事に立派な若者に育って、どれだけ嬉しかったことか。
甘やかしたい時期に手放したことを埋め合わせるように、甲冑姿の息子に、「お前はお腹が弱いから」と腹巻きをさせようとしました。
この時、秀次は17歳頃。そんな母に照れてうっとうしそうにはせず、素直に可愛がられている姿は、万丸のままでしたね。
史実では、万丸は4〜5歳で宮部継潤に養子にだされ次兵衛尉(吉継)、ついで三好康長の養嗣子となり三好信吉、秀吉が天下人の道を進み始めたころ羽柴秀次、そして豊臣秀次となりました。