秀長さえ生きていれば豊臣家は滅びなかった――『豊臣兄弟!』秀吉を狂わせた、弟の「早すぎる死」 (2/6ページ)
もともと秀長は兄の秀吉と同様に農民の出身で、幼くして農民から武士へ転身するという大きな選択をしました。それ以後、五十代で没するまで秀吉の補佐役として働き続け、戦場でも政務でも確かな成果を上げています。
天正期の豊臣政権では領地の石高や官位の面で徳川家康と並ぶ実力を持ち、名実ともに天下の要人だったのです。
しかし現代では、秀吉や家康に比べて秀長の知名度は驚くほど低いです。
これは秀長が手柄を誇らず、表舞台にも立たず、名もなきナンバー2として徹底して裏方に徹したためでしょう。
彼はまさに縁の下の力持ちであり、参謀としてのキャリアを全うした人物でした。
専業武士の時代戦国時代の中頃には農業と武士を兼業する中世型の武士から、兵農分離による専業武士へと大きな転換が起きていました。
この専業武士集団を最初に作り上げたのが織田信長であり、秀長はその変革期のただ中で専業武士という生き方を選びます。