秀長さえ生きていれば豊臣家は滅びなかった――『豊臣兄弟!』秀吉を狂わせた、弟の「早すぎる死」 (4/6ページ)
例えば、豊臣秀吉が果たした有名な政策としては、刀狩りが挙げられます。それまでの血みどろの戦国の気風から農民を解放するための武装解除政策でもあったのですが、これは秀長がいなければ実現しなかったでしょう。
「刀狩り」でも実は武器は奪わず?豊臣秀吉が目指していた本当の支配のカタチとはまた、少し踏み込んだ政策として、枡を京枡に統一したことも挙げられます。これは納税の不公平をなくす仕組み作りであり、有名な太閤検地とあわせた税制改革でした。これもまた、秀長あってこその政策です。
こうして彼は善政を敷き、諸大名との調整役としても高い評価を受け、豊臣政権の安定に欠かせない存在となりました。
秀吉の勢力が急拡大しても混乱が少なかったのは、秀長の冷静な判断と調整力があったからだと考えられます。
その傍証となるのが、秀長が五十二歳で亡くなった途端に、豊臣政権ならびに豊臣家は一気に滅亡の一途を辿ったという点です。
