江戸時代「おおらかな性」の裏にあった切実な事情――武士も農民も恐れた“子どもが増えると破産”の現実 (1/5ページ)
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江戸時代
子どもを増やせない
江戸時代の性文化というと、遊郭や浮世絵など華やかな面が注目されがちです。
しかし同じ性文化でも、庶民の生活の中では極めて現実的な問題がありました。ここで取り上げるのは当時の避妊についてです。
下級武士にとって、子どもの増加は家計を圧迫する要因でした。武士の俸禄は個人の給料ではなく「家」に対して与えられる仕組みで、家族が増えても手当が増えるわけではないからです。
大名にも出産を抑える理由がありました。妾の子どもが増えれば、財産分与や家督相続が複雑になるからです。
農民も事情は同じでした。子どもは成長すれば労働力になりますが、耕地には限りがあり、年貢も負担になります。
しかも子どもは、すぐに働けるわけではありません。働ける年齢まで育てるコストを考えれば、子どもの増加がそのまま農家の利益になるとは限らないでしょう。
庶民ですらこうなのですから、セックスを商売とする遊女の場合はさらに深刻でした。妊娠すれば仕事に直接影響するため、避妊や堕胎が重要な問題となります。
このように、避妊には身分ごとに異なる事情がありました。生活費、労働力、仕事、相続という現実が性のあり方まで左右していたのです。
避妊の工夫さて、それでは江戸時代はどのように避妊していたのでしょうか。
当時はお灸や薬、器具などを使った避妊が行われていました。ただし現代とは違い、それらは効果も安全性も十分に保証されたものではありません。
また堕胎の方法として、ホオズキの根を煎じて飲む方法などが伝えられています。効果がない場合には乾燥させたホオズキの根を粉にして鳥の羽に乗せ、子宮口へ塗る方法もあったとされています。