【豊臣兄弟!】堤防2.8kmをわずか15日で!豊臣秀長が“高松城水攻め”を可能にした「段取りの力」 (2/4ページ)
豊臣勲功記高松城水攻之図 (月岡芳年 画)豊臣勲功記高松城水攻之図 (月岡芳年 画)文化遺産データベースより
ここでは敵との戦闘以上に、大規模な土木工事をどう実現するかが重要になりました。
天正10(1582)年、秀吉は毛利軍を攻めるため、播磨姫路城から山陽方面へ進軍します。
一方毛利方も備前・備中の城を修繕します。その一つが清水宗治の守る備中高松城でした。秀吉は川から水を引いて城を水攻めにし、この高松城の兵糧の補給を断とうとします。
しかし、この作戦には巨大な堤防が必要でした。合戦というより、巨大な公共工事に近い規模の仕事だったのです。
備中高松城・水攻めを支えた驚異の資金調達術この工事を動かすには、まず資金が必要でした。そこで秀長は兵站担当として、物資だけでなく軍資金の調達にも力を注ぎます。
利用できた財源の一つが生野銀山の銀でした。さらに備前・備中の攻略時に発給した「禁制」から得られる資金も使われています。