【豊臣兄弟!】堤防2.8kmをわずか15日で!豊臣秀長が“高松城水攻め”を可能にした「段取りの力」 (3/4ページ)

Japaaan

生野銀山

禁制とは、侵攻軍による略奪や暴力、放火などを防ぐために発給された安全保障の証明です。これを得る代わりに、地域の人々は多額の金銭を献上する必要があり、秀長はこれを活用したのです。

それでも資金は十分ではありません。そこで彼は堺の商人らと交渉し、将来手に入れる領地の商業権を担保にして借金をするという方法まで取りました。

集めた銭は、人夫と土俵を集めるために使われました。秀長は土俵一俵を運んだ者に銭100文と米1升を与える条件を示します。

そして結果が出ました。天正10(1582)年5月9日から21日までの15日間で、長さ2.8㎞の巨大な堤防が完成したのです。

15日で堤防2.8kmを完成!武田勝頼との明暗を分けた「勝ち続ける仕組み」

堤防が完成すると、備中高松城は水攻めを受け、清水宗治は戦闘を続けることが難しくなり切腹と引き換えに秀吉軍と和睦します。

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