宮沢りえの異父弟、母の死知らず…「姉さんに会いたい」

肝腫瘍で9月23日に自宅療養中に亡くなった、宮沢りえの母親・光子さん(享年・65)。舞台『火のようにさみしい姉がいて』(演出・蜷川幸雄)に出演中の宮沢りえ(41)は、
「最期に、生きるということの美しさと、凄まじさと、その価値を教えてもらいました。そういった全ての宝物を胸に、私は、役者として、母として、女として、惜しみなく生きようと思います」
とコメントを発表。舞台を中心に着実に演技の幅を広げてきた彼女は、11月15日より全国公開予定の映画『紙の月』(監督・吉田大八)で約7年ぶりに主演を務める。
「母のような女性になりたい」
Twitterでは、
「貴乃花と別れさせた母親か」
「最近宮沢りえ痩せたな~って思ったけどお母さんの事もあったのかな」
「ご冥福をお祈り申し上げます」
との声が上がっている光子さん。女手ひとつでりえを育て、芸能界の実力者が集まる東京・六本木の飲食店に出入りし、りえを芸能界に売り込んだ。
「りえとは“一卵性母娘”と言われるほど仲が良く、11歳で芸能界入りしたりえを凄腕マネジャー、プロデューサーとして支えた話題づくりの名手。りえママなくして、彼女の大ブレイク、ヘアヌード写真集などの成功はなかった」
とは、古株のスポーツ紙芸能デスクだ。
しかし一方で、とあるパーティで光子さんがプロデューサーにりえの部屋の鍵を渡したり、ビートたけしにりえが「ママに言われて来ました」と言い、たけしが光子さんに激怒したなどという話が報じられた過去も。貴乃花や中村勘九郎をはじめいろいろな男性とウワサになっても光子さんの反対で別れることとなり、一時は激痩せなどのスキャンダルで〝母娘の確執〟が伝えられたこともあった。
それでも、りえは当時、スポーツ紙のインタビューで、
「母のような自分の価値観を貫く女性になりたい」
と特別な思いを明かした。2009年に妊娠した際は、光子さんが離れて生活していたパリから駆け付け娘の妊娠を喜んだ。
精悍な顔つき、目元がりえにそっくり
そんな光子さんだが、実はもうひとり息子がいた。
10月2日発売の「週刊文春」(文藝春秋)が、りえにとっては異父弟にあたる存在であるAさんの告白を報じている。光子さんはオランダ人男性との間にりえをもうけた後、破局。働いていた銀座のクラブで、ピアニストのBさんと出会い結婚。1977年7月に男児を出産すると、4カ月後にりえを連れて家を出て以来、音信不通となったという。
精悍な容貌でくっきりとした目元が姉りえにそっくりというAさんは、
「僕は20歳になるまで母や姉のことを全然知らなかった。祖父母に育てられたのですが、物心がついた頃から祖父母を両親、実の父親を歳の離れた兄だと信じてきました」
20歳になり祖母に母親とりえの存在を知らされたものの、にわかには信じられなかったというが、無理もない。4年ほど前に、祖父がりえに再会を希望する手紙を書き、Bさんが関係者に渡したが返信はなかったという。Aさんの父親であるBさんもまた、光子さんと別れて30年以上まったく連絡を取っておらず、光子さんの体調の悪化や、亡くなったことを知らなかったのだ。
2年前に元プロサーファーの夫と離婚協議中であることを発表、5歳になる娘と2人で暮らしているりえは、シングルマザーとして自分を女手ひとつで育てた母親をなぞるような人生を歩んでいる。母親の死を乗り越えて、いつかたった2人きりの姉弟が出会える日は来るのだろうか。
(取材・文/チロル蝶子)