「拉致など存在しない」土井たか子氏が墓場まで持ち込んだ政治案件

デイリーニュースオンライン

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拉致問題、秘書給与流用事件、辛光洙釈放嘆願……

 土井たか子氏が9月20日、肺炎で亡くなった。享年85だった。

 土井氏は1969年の初当選以来、衆議院議員を12期務め、1986年には旧・社会党の委員長として女性初の党代表になった。1993年にはさらに女性初の衆議院議長に就いている。また、1989年の参議院選挙では委員長として11名の女性議員を当選させ、「マドンナ旋風」を巻き起こし、参議院自民党を過半数割れに追い込んだ。その手腕には昨今の女性政治家の誰もが及ばない。このとき土井氏は「山が動いた」の名言を残したことでも有名だ。

「安倍内閣が進める『女性が輝く社会』の実現に先駆者的な役割を果たした」(菅義偉官房長官)ことは、まさにその通りであろう。

 土井氏の政治家としての業績をどう評価するかはイデオロギーが絡んで難しいが、リベラルな立場からは「護憲の象徴」として日本の右傾化の牽制役を担ってきたことは間違いない。

 一方、土井氏にはいくつかの汚点もある。

 ひとつは、土井氏が一貫して「北朝鮮寄りの」立場を採り、「拉致疑惑など存在しない」などと公言し、拉致被害者の一人である有本恵子さんの両親が土井氏の事務所に相談を持ちかけても、すこぶる冷淡に扱ったことだ。そのために、土井氏の出自について「帰化人ではないか」との疑惑が持ち上がり、月刊誌『WiLL』の記事にもなったが、発行元を訴えた名誉毀損裁判では土井氏が勝訴している。

 二つ目は、土井氏の政策秘書で「女帝」とまで呼ばれた後藤昌子氏が辻元清美氏ら「土井チルドレン」に公設秘書給与のピンハネを「指南」するのを黙認し、辻本氏を逮捕、議員辞職に追い込んでいること。

女子専門学校から同志社大に編入した際のある疑惑

 三つ目は、「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望書」が韓国政府に提出された際、対象者のなかに拉致実行犯と目される辛光洙が含まれているのにもかかわらず、菅直人元首相らとともに署名していることである。これは公党の代表としてはいかにも迂闊すぎるだろう。

 さらに、土井氏は1945年に京都女子専門学校(現在の京都女子大)に入学、3年生のときに同志社大学に編入したらしいのだが、それがいつの間にか、同大大学院の法科研究所で学んだ憲法学者ということになってしまっている。しかし、同時期の在院生の多くは「土井氏の姿は見たことがない」と証言しているし、政策秘書時代の筆者も、何人もの議員から「土井の憲法論など聞いたためしがない」という言葉を耳にしている。

 疑惑を含め、土井氏にはいくつもの「功」と「罪」があったわけだ。

文・朝倉秀雄(あさくらひでお)
ノンフィクション作家。元国会議員秘書。中央大学法学部卒業後、中央大学白門会司法会計研究所室員を経て国会議員政策秘書。衆参8名の国会議員を補佐し、資金管理団体の会計責任者として政治献金の管理にも携わる。著書に『国会議員とカネ』(宝島社)、『国会議員裏物語』『戦後総理の査定ファイル』(ともに彩図社)など。
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