奥大介急逝 対ブラジル戦で日本人初のゴールを決めた男の早すぎる死
10月17日、サッカーファンの間に衝撃が走った。元日本代表、奥大介の訃報である。現在の居住地である宮古島で、アルバイト先に向かう途中の交通事故死。享年38歳。突然の交通事故とその若さに加え、日の丸を背負ったこともある奥の現在を伝えるキーワードが「アルバイト」「軽自動車」などであったことに、ショックを覚えた人も多いのではないだろうか。
日本サッカーを明るく照らした歓喜のゴール
奥大介といえば、真っ先に思い出すのは1995年のワールドユース(現U20ワールドカップ)だ。カタールで開催されたこの大会で、日本は準々決勝でブラジルと対戦。Jリーグが開幕して間もない時代である。ワールドカップ初出場はおろか、「マイアミの奇跡」(1996年のアトランタオリンピックでブラジルに勝利した試合)でさえ未来の話。日本はアジアの強豪になりつつはあったが、世界への壁はまだまだ分厚く、ブラジルははるか雲の上の存在だった。そんな王国相手に、奥は目の覚めるような先制点を挙げたのだ。コーナーキックからのこぼれ球を拾った鮮やかなミドルシュート。すべての年代の代表で、ブラジル相手の初ゴールである。
長年サッカーファンをやっていると、その数秒が目に焼き付いて離れないゴールがいくつかあるが、奥のゴールは間違いなくそのひとつだ。ただの1点ではない。日本サッカーの未来を明るく照らす、そして無限の可能性を感じさせるゴールだった。全身を覆う鳥肌と、夜中の雄叫び。あの瞬間を、私はいつでも思い出すことができる。試合はブラジルに2点を奪われて破れはしたものの、このユース代表は歴代最高位のベスト8。アトランタ組よりもひと足先に世界への扉を開いた。
忘れられないサッカーを楽しむ無邪気な笑顔
1年前の私生活での騒動もあり、奥に対してよくないイメージを抱く人もいるだろう。ただサッカー選手の奥は、いつもニコニコしながらサッカーを楽しみ、チームのために献身的にプレーし、キャプテンシーを発揮し、周りの選手から慕われていた。そして、対戦チームにとっては嫌な選手だった。現役時代のほとんどを過ごしたジュビロとマリノスでは、奥のいた時代がほぼイコールで黄金時代だ。この2チームのサポーターで、奥を悪くいう人間なんてほとんどいないだろう。発達しすぎたふくらはぎとドリブラーらしいガニ股で、中盤を縦横無尽に走り回る姿が思い出される。そしてやはり、彼はいつも笑顔だった。
早すぎる死で考えさせられるセカンドキャリア
そんな偉大な選手である奥の、引退後の人生には笑顔があったのだろうか。離婚、自殺未遂説、鬱……。耳に入ってくる情報は、華やかな選手時代とはまったく異質のもので、もしそれが事実だったとしたら――。彼のさみしい晩年を思うと不憫でならない。
引退年齢の平均が25歳前後ともいわれるJリーグにおいて、14年ものキャリアを積み上げ、リーグ戦は280試合に出場。日本代表として国際Aマッチにも、26試合出場している。これらの数字は並大抵の記録ではなく、ここまで到達できるサッカー選手は本当にひと握りだけ。そんなエリート中のエリートである奥でさえ、引退後の生活は順風満帆といえるものではなかったのかもしれない。少年たちの目標であるべきJリーガーの行く末が、現状のままでいいのだろうか。
奥大介の冥福を心より祈りつつ、彼の急逝が、Jリーガーのセカンドキャリアについて考える、ひとつのきっかけになればと願って止まない。合掌。
(取材・文/尾崎稚)