ハロウィン仮装・渋谷ゴミ問題に見る「日本人の教養」

デイリーニュースオンライン

ハロウィンの仮装で大賑わいの渋谷
ハロウィンの仮装で大賑わいの渋谷

 今年はいろいろな芸能人がメイク姿を披露するなど例年以上の盛り上がりを見せた感のあるハロウィンだが、関連のニュースを見るたびに、あいかわらずの違和感を個人的には覚えてしまう。まぁ、これも私が新しい時代の波についていけなくなった証と言われればそうなのかもしれないが、私がこのハロウィンに違和感を覚えるのはそう単純な話でもない。

 率直な話、近年における日本文化は、伝統性というより商用性が優っている。関西特有の「恵方巻き」を食す習慣が急速に東京圏内でも拡大したのも、コンビニエンスストアをはじめ各種飲食業界があいのりしたことが大きい。そう、「土着性」よりも「商用性」が非常に高いのだ。そういう意味では、ハロウィンも同様に近いわけだが、舶来ものという点では、やはりクリスマスやバレンタインに近いものと言えるだろう。ただし、両者はともにプレゼントという直接的商用価値が高いことからも社会全体から重宝されるというのは何となくわかるのだがハロウィンにはそれがない。それが実際ハロウィンの認知向上に時間がかかった理由と見ている。

 もともとハロウィンは、古代ケルト人による宗教的な神事に始まっている。日本国内においてはキディランドの販促活動の一環として始まっているとも言われているので、そこはやはり商用といった感じだが、ハロウィンの場合、それをコスプレ文化が後押しする形で今日の盛り上がりを見せている。実際、テレビで見るハロウィン映像は、非常に凝った衣装を身にまとい、一部では本場を凌ぐほどとの賞賛を浴びている。確かに、「楽しければいいじゃないか」という声はそうなのかもしれない。しかし、渋谷での盛り上がりに目を向ければ、路上には大量のゴミが残され、警察が出動する騒ぎにもなっている。こういう姿を見てしまうと、やはり文化性よりもファッション性が重視され、中身よりも外見が重んじられた結果と感じてしまう。だから、こうした姿を見ていても、個人的には単なる「から騒ぎ」にしか見えないのだ。

 しかも、このハロウィーンには土着的な感性をあまり感じさせない。都心部でこうした活動が目立つのもこの土着色が希薄な点にあるのかもしれないが、やはり単純に見ても、他国の焼き直し、モノマネが多いところは否めないだろう。

日本にも土着の“コスプレ祭り”は存在する

 例えば、私の地元には、「狐の行列」と呼ばれる年末行事がある。ハロウィン同様、老若男女が狐の格好をして、年始の年明け早々、装束稲荷神社という小さな神社から王子稲荷神社までを練り歩く。今では外国人の参加もあるというが、これは『全国から大晦日に狐が集まり、大きな木の下で装束を整えて王子稲荷神社に詣でた』という伝承を復活・再現させたものになる。年々、その見物客は増え続け、今では立派な年始行事として定着しつつある。正直、同じコスプレをして何かに臨むのであれば、こういう土着性を強く巻き込んだ方がいいんじゃないかと強く思うのである。少なくとも、それは私自身が外国人として日本を観た場合、そのほうが興味は何倍にも膨れ上がるだろう。なぜなら、それこそが日本でしか見られないものだからだ。

 以前、私の文化講座に能楽師の先生を迎えたときにも、学び手の減少を憂いつつ、中等教育の選択必修にヒップホップが組み込まれたことについてこう嘆かれていた。

「なぜ、能楽や日本舞踊ではないのだろう」

 かつて故中村勘三郎さんは、自身が海外での新しい取り組みをすることに対して、ラジオの子供電話相談室のやりとりにならってこう仰っていた。

「型があるからこそ破ることの出来る『型破り』、型がなければそれは単なる『かたなし』」

 だからこそ、勘三郎さんは何より伝統を重んじた。確かに楽しいというのは分かるが、この渋谷に吐き捨てられたゴミは何かこの「かたなし」のから騒ぎを言い表しているような気がしてならない。少なくとも、これを一つの形として伝えていきたいのなら、周囲からそう評されないようにするだけの努力は必要だろう。まぁ、多少の老婆心から出た愚痴にも聞こえなくもないものだが。

著者プロフィール

toujyou

一般社団法人国際教養振興協会代表理事/神社ライター

東條英利

日本人の教養力の向上と国際教養人の創出をビジョンに掲げ、一般社団法人国際教養振興協会を設立。「教養」に関するメディアの構築や教育事業、国際交流事業を行う。著書に『日本人の証明』『神社ツーリズム』がある。

公式サイト/東條英利 公式サイト

「ハロウィン仮装・渋谷ゴミ問題に見る「日本人の教養」」のページです。デイリーニュースオンラインは、ハロウィン渋谷連載などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る