菅原文太さん訃報でマスコミが暗闘した”空白の3日間”

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昭和の巨星がまたひとつ、墜ちた
昭和の巨星がまたひとつ、墜ちた

 高倉健さんに続いての昭和を代表する映画スターの訃報に、師走の喧噪が吹き飛んだ。

 12月1日に死去が伝えられた俳優・菅原文太(享年81)さん。

 複数メディアの報道によると、その3日前の11月28日午前3時49分に、転移性肝がんによる肝不全のため都内の病院で死去したという。

 11月30日には、菅原さんが晩年に暮らした福岡県内にある太宰府天満宮祖霊殿で、家族らごく近しい関係者による葬儀・告別式が営まれた。

 死後1週間以上も死去の事実を伏せられていた高倉さんと同じく、菅原さんの訃報も3日にわたって外部に漏れることはなかった。

 しかし、その3日の間、水面下では、知られざる〝暗闘〟が繰り広げられていた。

伏線となったのは高倉健の訃報

 芸能関係者が語る。

「葬儀が行われた11月30日ごろから複数のマスコミが菅原さんの訃報情報を掴んでいた。死亡予定稿を用意していつでも出稿できるようにしていた所もあったが、どの社も最後の『裏取り』ができなかった」

 結局、どのマスコミも30日のうちに菅原さんの訃報を報じることができず、12月1日を迎えた。午後になると、菅原さんの代表作である「仁義なき戦い」と「トラック野郎」の両人気シリーズを製作した東映から各マスコミに、「午後3時に会見を行う」との情報が一気に流れた。

「ただ、そこでも会見の中身まではハッキリとは分からなかった。そのうち、『菅原さんは海難事故に遭って亡くなったらしい』との未確認情報も飛び込んできて、記者が確認に追われるなど、取材現場はパニックに陥りました」(同前)

 結局、東映側の正式発表の直前に通信社が第一報を打ったことで各社が後追いすることになる。

 それにしても、なぜこんな混乱が起きたのか。

 そこにはもう1人の名優の死も関係している。

 あるスポーツ紙の芸能担当記者は、

「伏線となったのは高倉さんの訃報です。その時、複数のマスコミが追悼コメントをもらおうと、菅原さんのマネージャーを務める夫人にコンタクトを取った。一度はマスコミに応対した夫人でしたが、20日ごろから突如として連絡が取れなくなった。その後も音信不通の状態が続いたため、『菅原さんの身に何かあったのではないか』となったわけです」

 と明かす。

 生涯に残した多くの作品の中で、孤独に生きる男の姿を演じ続けた菅原さん。大仰な葬送を望まず、ひっそりと荼毘に付されたのは、いかにも菅原さんらしい。最期の瞬間まで美学を失わなかった。

(取材・文/浅間三蔵)

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