高倉健VS菅原文太「これぞ傑作!」10番勝負 (2/3ページ)

日刊大衆



闇市の混沌の中、山守組の組長に度胸を買われた広能は、ヤクザの世界に身を投じ、まだ小勢力だった山守組は抗争に明け暮れる。
「広島もんのケンカいうたら、殺(と)るか殺(と)られるかの二つしかありゃあせんので」と、乱闘、暗殺に報復、そして、裏切り……。
「深作欣二監督は緊迫感を出すため、ある逃走シーンでは、踏み切りの遮断機が下りる瞬間を狙ってカメラを回させたという伝説があります」(映画ライター)
むろん、シリーズ全作品が甲乙つけ難い名作ぞろい。

放送評論家の小松克彦氏は、映画を見た当時を振り返りながら絶賛する。
「渋谷の東映で観たんですが、映画のあと、本当に観客全員が肩で風切って映画館を出てくるんです。1作目は年始に公開されたんですが、寒さで肩すぼめながらも、みんな、文太さんになりきっていた。主役になりきってしまう映画の楽しみ方が、ここにはちゃんと存在していましたね」

この『仁義なき戦い』に次いで推したいのは、『人斬り与太』。72年に公開された本作は、『仁義なき戦い』のベースになったと言われる作品だ。
「深作監督と文太さんコンビの出世作と言われる作品です。映画そのものはチンピラたちの抗争を描いたもので、ドスで斬り合うだけ。作品としては未熟感がありましたが、とにかく理屈抜きに面白かった」(小松氏)

この映画の成功なくして、翌年に公開される『仁義なき戦い』はなかったと言われるだけに、文太さんにとってターニングポイントとなった作品と言えよう。
健さんと文太さんはともに任侠・ヤクザ映画でスターになった俳優だが、役者として年輪を重ねるにつれて、二人は若い頃とは違う路線で新境地を切り開く。
健さんにとって、その転換点となったのが77年公開の『八甲田山』だ。1902年、青森の陸軍連隊が雪中行軍の演習中に遭難し、199名が死亡した事件を題材にした映画だ。
「任侠映画の健さんから、大作映画の健さんへ移行した作品と言えます。健さんの新たな魅力を引き出したのが、この『八甲田山』と『動乱』を撮った森谷司郎監督なんですよ」(小松氏)

この映画の撮影は過酷を極め、撮影現場からの"脱走兵"が続出。脱走兵のための見張り番が置かれたという逸話もある。
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