「もう漫画家はやめてもいいかな」――蛭子能収“ひとりぼっち”哲学に迫る(2) (3/4ページ)
2007年に雑誌の企画で出会った女性と再婚した)
――「ひとりぼっち」は周囲の支えがあってこそのものなのかもしれませんね。
蛭子:完全なひとりぼっちは寂しくてやりきれないと思いますね。おれにもし女房もいなくて、芸能人でもなかったら、毎朝起きてすぐに雀荘に行くと思います。そうすれば、絶対に寂しくないですから。一人ではいられないと思うんです。この『ひとりぼっちを笑うな』という本も、家族がいるからこそ書けたように感じます。本当にひとりぼっちだったら、「笑うな」なんて言っていられないかもしれません。
――蛭子さんは漫画を書く際も一人なのですか?
蛭子:そうですね。アシスタントはつけません。もしアシスタントがいたら、命令されそうな気がするんですよ。こうしたほうがいいとか言われて、その通りにしちゃう。自分で好きなように書きたいから、一人です。
――蛭子さんがこれまで読んできた本で、最も影響を受けた一冊あげていただけますか?
蛭子:おれ、本を最後まで読み切ったことがないんです。難しい漢字が出てくるとそこで止まっちゃう。だから、結局漫画になるのですが、一番影響を受けたのは、つげ義春の『ねじ式』ですね。谷岡ヤスジという漫画家が「一気に読めない漫画はダメだ」とよく言っていたのですが、おれもそう思うんですよ。一気に読ませてくれないといけない。つげ義春の漫画を読んだときは「すごいなあ」と思いました。読みやすくて、場面もわかりやすいのに、ストーリーが分からない。感覚で読む漫画だったので。
――独特な作風で知られる蛭子さんの漫画ですが、描く際にどのようにインスピレーションをわかせるのですか?
蛭子:昔は見た夢をノートに起こしていましたね。でも、今は夢を見なくなってしまったので、なんとなくしぼりだしています。だから、面白いものが描けていません。ページ数も少ないしね。最近漫画を描く意欲もあまりわかないんですよ(笑)。テレビにもいっぱい出ているし、もう漫画はいいかな、って。お金もテレビの出演で足りているし、漫画家をやめてもいいくらい。
――えっ、やめてもいいんですか!?
蛭子:でも、(自分が)漫画家と言えなくなったら恥ずかしいですよね。