ピンク映画出身の『人間力』廣木隆一(映画監督) (1/2ページ)
「やりたいようにやればいいんだって言われ、自信になりました。それが映画の個性になるっていうのは大きな発見でした」
今回の映画は、2週間で撮ったんで、撮影期間中はほとんど寝てないです。これだけのキャストを集めるとなると、まあ大変でして。主役の染谷(将太)と、韓国人女優のイ・ウンウは、2週間現場にいましたが、映画に出てほしかったもうひとりの主役・あっちゃん(前田敦子)は3、4日だったかな。
内容は歌舞伎町のラブホテルを舞台に、風俗嬢や、不倫カップルなど、いろんな背景を持った男女の群像劇。群像劇は、初めてやらせて貰ったんですが、役者さんがみんな頑張ってくれました。デリヘル嬢を演じるイ・ウンウは、日本語がまったく話せない状態で来日したけど、理解力や集中力が凄かったね。
編集の段階では、「どうかな?」って不安もあったけど、試写会で観てくれた人が、「とても良かった」って言ってくれたので、いいのかなって思っています。
映画監督になろうと思ったのは、大学生の頃。60年代後半から70年代前半のアメリカ映画『明日に向かって撃て!』や、『アメリカングラフィティ』が好きで、友だちに連れられて、映画監督としても活躍していた寺山修司さんの講義をモグリで聞いていたんです。そこで、自主映画を作っている友達ができたのが、映画の世界に入ったきっかけですね。
その頃、日本の映画界は斜陽で、映画撮りたいといっても、ピンク映画しかなかった。それこそ、『週刊大衆』とかに、ピンク映画の世界では、企画書さえ持って行けば、若いやつでも、映画が撮れるみたいな記事が載っていたんです。
で、ピンク映画の老舗・大蔵映画に台本持って行って、どうしたら映画監督になれるんですかって聞いたら、「普通は助監督からだ」と、監督を紹介され、「明日から来い」って。それで、撮影現場へ行ったんです。もう、ボロクソに怒られました(笑)。そりゃそうですよね。こっちは何にも知らないんですから。
それから、映画監督の中村幻児さんと知り合って「3年やって監督になれなかったら辞めたほうがいいぞ」って言われ、自分でも20代で絶対、監督になると決めていたんで、やってみようと思ったんです。ギリギリ28歳の時に監督になれました。