ピンク映画出身の『人間力』廣木隆一(映画監督) (2/2ページ)

日刊大衆


監督としての初作品は、めちゃくちゃつまんなくて、次の1年間、オファーが来ませんでした。やっぱり、監督とか向いてないと思いましたね。

その後、なんとか10年ほどピンク映画の監督をやらせてもらいましたが、大変でしたね。一つの作品で、予算300万くらいを映画製作会社からもらうんですが、俳優さんのギャラや、スタッフ、スタジオの費用なんかを払ったら赤字なんですよ、毎回。
だから、次の作品入れて、そのマイナス埋めて、またマイナスになって、それがどんどん膨らんで、まさに、自転車操業。よく犯罪者にならなかったなって思いますね(笑)。

その頃、お世話になったのが、実は『週刊大衆』なんです。"人妻の不倫告白"みたいな記事を書かせてもらって、その原稿料で糊口を凌ぎました。当時の編集部の方には、飯や酒をご馳走してもらったり、お世話になりましたね(笑)。

94年には、アメリカのサンダンス映画祭に参加したんですが、おもしろかった。ピンク映画の現場しか知らなかったんで、「ハリウッドのやり方はどうなんだ?」って聞いたら、「やり方なんて関係ない。やりたいようにやればいいんだ」って言われ、自信になりました。自分がやりたい方法、それが映画の個性になるんだというのは大きな発見でした。

その後、一般映画の仕事が舞い込み、今に至るって感じです。
ピンク映画で培ったものは、財産ですね。ピンク時代は基本的に自由にやっていましたから、今もこのジャンルは、こう撮るんだとかそういった決まりを、どんどん壊していこうって思います。映画なんだから、こうしなきゃいけないなんてものはないと常に思って撮っていきたいですね。

撮影/弦巻 勝


廣木隆一 ひろき・りゅういち

1954年1月1日、福島県生まれ。大学在学中にピンク映画の世界に入る。デビュー作『性虐! 女を暴く』でシティ派の異名をとり、10年間その世界で活躍。03年、寺島しのぶ主演『ヴァイブレータ』が第25回ヨコハマ映画祭で監督賞を始め5部門を受賞。また、同作品はヨーロッパを中心に40以上の国際映画祭で数々の賞を取る。職人肌の監督で、謙虚で人当たりのいい人柄が好感を得、今後益々期待される監督である。監督作品は多数。
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