【知られざる日本の絶景】長野県・南木曽町に今も残る江戸時代の町、妻籠宿 (1/3ページ)

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【知られざる日本の絶景】長野県・南木曽町に今も残る江戸時代の町、妻籠宿


長野県南木曽町というと、昨年発生した土石流によって1ヵ月ほどJR線が不通になってしまったことでご存知の方もいらっしゃるかも知れません。

悲しい出来事が発生してしまった場所ですが、実は南木曽町にはまるで江戸時代にタイムスリップしたかのような場所があります。それが今回ご紹介する「妻籠宿(つまごじゅく)」です。

妻籠宿は江戸時代から交通の要所として栄えた場所。江戸時代の五街道の一つで本州中部の内陸側を経由して京都まで繋がっていた中山道と、徳川家康によって作られた尾張名古屋と信州飯田を結んでいた飯田街道との分岐点、それが宿場として設定された妻籠宿でした。

かつて江戸時代に進められた街道の整備にともない、駅逓事務(えきていじむ)を取扱う為に設定された町場、それが宿場と呼ばれる場所でした。

当時は最速の移動手段は馬もしくは人間の足であったため、現在の電子メールのような物事のやり取りは全てマニュアルで行われ、そのやり取りを円滑に進めるために宿場が整備され、その周りに発達したのが宿場町と言われています。

たくさんの人が行き来する宿場には、本陣と呼ばれる武士や公家など身分の高い人達が宿泊および休憩を取った場所や、脇本陣と呼ばれる本陣に次ぐ身分の高い人達が宿泊および休憩を取った場所が整備されていました。

こちらの妻籠宿には、かつて本陣が1軒、脇本陣が1軒、そして旅籠(はたご)と呼ばれる一般人が宿泊および休憩を取った場所が31軒も整備されており、中山道の大きな宿場町の1つとして当時から有名な場所でした。

現在でも、復元された本陣と国の重要文化財にも指定されている脇本陣を初め、江戸時代からの町並みが残っています。

しかし、1つの疑問が湧いてきます。なぜこのような、かつての町並みが現在でも保存されているのか?と。戦後復興から高度経済成長を果たした経済環境だけでなく、かつて繁栄を極めた町であれば、このような町並みは取り壊されてしまい、保存されなかったのではないかと。

そう、そこにはこの町並みを保存するための活動がありました。実は南木曽町の妻籠宿は、日本全国で初めて、昭和43年から町並みを保存する活動がスタートし、それは現在まで続いています。

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