引退試合の対戦相手が語るアントニオ猪木「イノキさんと戦うということが最高の栄誉だった」 (3/4ページ)

日刊大衆

ただ、当時のプロレスラーはみんな身体が大きく、身長は6フィート5インチ(195センチ)以上、体重は300パウンド(136キロ)を超えるような大男がたくさんいたから、直接プロレスラーになってトップを目指すのは時間がかかると思ったんだ。だからまず、UFCで成功を収めて、有名になってからのほうが近道だと考えたのさ。

──なるほど。消防士を辞めて、プロ格闘家になるときは、何かきっかけがあったんですか?

フライ ちょうど離婚したこともあって、自分の人生に変化がほしかったんだ。それで、子どもの頃から慣れ親しんだ、アスレチック的なことをすることに決めたのさ。オクラホマ州立大学ではカレッジ・レスリングのチームメンバーとして、全米チャンピオンになることもできたし、個人的にボクシングも習っていて、その後は柔道もやっていたからね。3つの異なるスタイルの格闘技を経験した自分に、アルティメット・ファイティングは合ってるんじゃないかと思ったのさ。

──当時、消防士の仲間たちはなんて言ってましたか?

フライ 「お前はクレージーだ!」ってみんなに言われたよ(笑)。でも、自分がUFCで優勝したあとは、みんなが祝福してくれたね。
──96年に『UFC8』さらに『アルティメット・アルティメット』と、UFC2大会で優勝したあと、97年から新日本プロレスのリングに上がるようになったきっかけはなんだったんですか?

フライ UFCでの最後の試合となった、96年の『アルティメット・アルティメット』の決勝戦(タンク・アボット戦)で拳を骨折してしまい、治療のため2カ月間休養をとっていたんだ。そうしたら、ブラッド・レイガンズが当時のUFCコメンテーターであったジェフ・ブラトニック(ロサンゼルス五輪レスリング金メダリスト)の知人だったことから、俺の連絡先を聞いたらしく、「ニュージャパン・プロレスリングのミスター・イノキ、マサ・サイトーと会ってみないか?」と誘われて、ブラッドの家で会うことになったんだ。あのとき、ほかにはフジタさん(藤田和之)、オガワさん(小川直也)も一緒だったよ。

──ブラッド・レイガンズを仲介したレスリングつながりで、パイプができたんですね。

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