演技一つで成り上がる『人間力』遠藤要(俳優) (1/2ページ)
「怖いものは何もなかったです。たとえ、仕事がなくても飢え死にすることはないだろうと思い、ひたすら役者としての成功を目指しました」
「役者になる!」と、全財産である8万円をポケットに忍ばせ、決死の覚悟で田舎から東京に出てきたのは19歳の時でした。
芸能事務所にかたっぱしから履歴書へ送ったもののなしのつぶて。諦めずに出し続けると、運良く採用してくれる事務所を見つけたんです。
ただ、事務所に入ったからといって仕事がすぐもらえるわけではありませんからね。所持金8万円では、東京の家賃が高過ぎて、アパートは借りられませんでした。当時の僕にとって、8万円はでかい金額。地元では、いい感じのマンションでも3万ちょいくらいも出せば借りられたので、東京でも大丈夫だろうとタカをくくっていたのですが、現実は厳しかったですね。
しかたないので、渋谷の駅前を勝手に宿に。しばらくすると、ホームレスのおじさんが、ダンボールで寝床のつくり方を教えてくれて、真冬の2月だったんですが、なんとか寒さを凌げました。シャワーは公園の水道でしたね。冷たい水で、シャンプーして、なんとか清潔感は保っていたはずです。
そんな状況を知った事務所の先輩が、居候をさせてくれることになったので、そんなに長いこと家なし生活ではなかったんですがね。
役者なりたての頃は、寝る暇もありませんでしたよ。夜9時から朝5時までカラオケ店でバイト。朝6時からエキストラの現場行って、夜からバイトみたいな生活だったので。ただ、まったくヘコたれませんでしたね(笑)。ぼくには失う物は何もありませんでしたから。
実は、中学2年から母親と2人で暮らすようになって、18歳の時に、母が他界してしまったんです。母親が亡くなった時に、これから何をして生きていけばいいんだと真剣に考えましたね。ただ、有名になって、世の中に影響を及ぼせる人間になりたいという思いは強かったのですが、問題は何になるかでした。
当時、地元の仲間でロックバンドを組んでボーカルをしていましたが、身内で盛り上がっているだけだったので断念(笑)。キックボクシングはガチでやっていたんですが、プロレベルの選手とやった時、実力差を思い知らされ、これもあり得なかったですね。