都構想で「西成」の地名が消える? 大阪No.1ディープ地域の今後は (2/5ページ)
本来であれば郡内に移設すべきところ、役所をそのままにしておいたということは――西成郡全域を大阪市に編入することは既定路線だったのかも。
ちなみにJR大阪駅とユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の最寄り駅を結ぶ桜島線(愛称は「ゆめ咲線」)の前身は西成鉄道という私鉄だったし、淀川に架かる淀川大橋の前身は「西成大橋」だった。これだけ見たらキタこそ西成の本流と言えそうだ。

「大阪市史」に載っている西成郡役所と西成大橋(国会図書館デジタルライブラリーより)

大阪市内における西成区の位置(編集部作成)
区域の名称がどうやって決まったのかは不明だが、今宮町・玉出村・粉浜村・津守村からなる西成区が成立したのは1925年のこと。さらに1943年に区の境界線が変更された結果、現在の面積は東京都千代田区の63%の広さしかない。
物価の安さは衝撃的地名としては残っていないが、「あいりん地区」はかつて釜ヶ崎と呼ばれた。1896年にマッチ工場が建てられ、1920年代には市内有数の人口密集地となった。ところが空襲で焼け野原に。敗戦直後にバラックが立ち並び、1950年に阿倍野公共職業安定所西成労働出張所公的機関が移転する。しかし、仕事をあっせんしたのはヤミ手配師だった。
1960年代の高度成長と1970年の大阪万博で労働需要はピークを迎える。一方で行政は、同年にあいりん労働福祉センター、翌年に市立更生相談所をそれぞれ設置する。