粋でイナセな江戸の花! 金沢で今も受け継がれる加賀鳶(かがとび)の伝統と技 (1/3ページ)
「火事と喧嘩は江戸の花」といわれたように、江戸の街はとても火事が多いことで有名でした。勇猛果敢に火の手から江戸の町を守る『火消し』が、江戸っ子達の憧れの的だったというのも当然のことでしょう。
その火消しの中でも特に人気があったのが、加賀前田藩お抱えの『加賀鳶(かがとび)』でした。
加賀鳶は、江戸は本郷にあった加賀前田藩の江戸上藩邸が召抱えた『大名火消し』でした。加賀鳶は、自邸はもちろん、周辺の町や湯島の聖堂の火消しにも出動しました。

『絵本江戸風俗往来』によると、加賀鳶の採用基準は、「身長六尺三寸以上」「顔色たくましく、力量すぐれし者を選びて鳶とす」とあります。
「六尺三寸」というのは「190cm」のこと。驚くことに、男性の平均身長が150cmという江戸時代において、現代の日本人男性でもなかなかいない「身長190cm以上」という高条件を掲げています。
加えて「顔色たくましく」「力量も優れた者」とありますから、加賀鳶がいかに寄りすぐりのハイスペック集団だということがおわかりになると思います。
またその姿格好も、「五尺ほどの鳶口」を持ち、「雲に大稲妻の色刺し絆纏」の長半纏、その上に火事装束の「鼠色の革羽織」、髪型は形の良い「加賀鳶髷」、歩く姿は「六方振り」。まるで、歌舞伎に出てくる弁慶のような堂々たる出で立ちで江戸の町を闊歩していました。
加えて『加賀百万石』という準御三家としての家格の高さ。加賀鳶は、現代の私達には想像も出来ないほどの江戸の大スターでした。
『加賀鳶』の勇姿は歌川豊国や歌川国芳の浮世絵にも描かれ、また明治期に入ってからも河竹黙阿弥によって歌舞伎の演目『盲長屋梅加賀鳶』にもなったことから、依然衰えぬ人気の高さが伺えます。