【歴史】子供なんてここからナンボでも出てくらぁ! 肝っ玉母ちゃんカテリーナ激怒 (2/4ページ)

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清少納言は主人の定子が亡くなった後に宮中を出て、尼になっていたといわれています。そのうち兄が政争に巻き込まれて討たれてしまったのですが、下手人が清少納言にも襲いかかってきたので、着物の裾をめくり上げて「私は女ですから!」と撃退した、という話です。

頭に血が上ってる男の前でそんなことをしたら別の危険にさらされそうな気もしますが、その後のことは伝わっていないのでどうだったやら。この話は清少納言の時代から百年くらい後の本に出てくるものなので、完全に創作の可能性もありますけどね。

度々お話していますが、こういう逸話は事実かどうかよりも「その人に対して世間がどう思っていたか」を窺い知るためのものと考えていいでしょう。

この場合、「清少納言は男にも気後れしない、堂々とした女性だった(から気に食わない)」というところですかね。

・イタリアの女傑カテリーナ
話をイタリアに戻しましょう。カテリーナの話も、よくよく考えればツッコミどころがなくもありません。「城の屋上にどうやって上ったんだ」とか、「そもそもそんなところから怒鳴って声が聞こえるのか」とか、「いい的じゃねーか」などです。そりゃそうだ。

どこまで本当かはさておき、その後、無事反乱は制圧されました。反乱に関わった者は一族丸ごと処刑するという苛烈ぶりでしたが、まあこれはどこの国でもやってますから彼女だけが特別冷酷ということにはなりませんね。

カテリーナの武勇伝(?)はイタリアのみならずヨーロッパ中に伝わり、「イタリアの女傑・カテリーナ」として大いに喧伝されていきます。そのため現代の日本でも小説になったり、ライトノベルでも彼女と同名の人物(ただしタイプの違う女傑)が出てきたりしているというわけですね。

・市民に嫌われ失脚
しかし、強気すぎて親族や領民との間はあまりうまくいっていなかったようです。二人目の夫は元愛人でしたし、彼が亡くなった後は自ら復讐に乗り出して領内を混乱させ、反感を買いました。

また、彼女は最初の夫のジローラモ亡き後、名実共にフォルリの主になっていたのですが、息子が成人しても家督を譲ることはなかったといわれています。

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