【歴史】子供なんてここからナンボでも出てくらぁ! 肝っ玉母ちゃんカテリーナ激怒 (3/4ページ)
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ヨーロッパでも女性の領主というのはたまにいますが、実権を持っていたのは珍しいですね。
そうした日頃の行いもあって、チェーザレ・ボルジアというローマの貴族に攻め込まれたとき、兵士たちはともかく市民は自ら門を開いてしまったのだとか。一説には「城に侵入されたときにはカテリーナも剣を取って戦った」とまでいわれていますから、兵士の中にも逃亡・投降した者はいたことでしょう。
そしてカテリーナは捕まり、チェーザレの元に連れてこられました。チェーザレはまあいろいろ過激な人ではありましたが、無益な殺生をするような人でもなかったので、「領地を放棄するなら命は助けよう」と彼女に言い、カテリーナも渋々了承してこの件は片付きます。
後にチェーザレは失脚したため、カテリーナは「また領主に戻りたい」とローマ教皇に申し出たのですけれども、このときは市民に拒否されて叶いませんでした。どんだけ嫌われてたんだ。だからといってだだをこねることはなく、その後は静かに暮らしていたようです。
・孫がトスカーナ大公国を設立!
彼女本人はそんな感じでいわゆる「敗者」なのですけども、「血筋を残した者が勝者である」と考えるとまた話が変わってきます。
三人めの夫との子供が傭兵隊長として活躍、その子供(カテリーナの孫)はフィレンツェの主となってトスカーナ大公国(現在のイタリア・トスカーナ州。キャンティという赤ワインで有名)という国を作っているのです。
ついでにこれまた余談を付け加えますと、カテリーナのひ孫が天正少年使節と会っていたりします。どこで繋がってるかわかりませんねえ。こういうのが歴史の醍醐味でもありますが。
そんなわけで、彼女の血筋はトスカーナ大公国やその子孫を通じて、ヨーロッパに引き継がれていったのでした。一つの家としては残っていませんが、そういうのも生物としては勝ちですよね。多分。