【歴史】子供なんてここからナンボでも出てくらぁ! 肝っ玉母ちゃんカテリーナ激怒 (1/4ページ)
- タグ:
-
カテリーナ・スフォルツァ
-
アサシンクリード
-
武将ジャパン
-
歴史
-
イタリア
「女は弱し、されど母は強し」とはヴィクトル・ユゴーの言ですが、「多分この人、母親になる前から強かっただろうな」という人もいますよね。本日はとある国の「強い母」のお話です。
1509年(日本では戦国時代・永正六年)5月10日、イタリアの女性領主だったカテリーナ・スフォルツァという女性が亡くなりました。日本の小説やライトノベルでも出てくるので、イタリア史に詳しくなくてもこの名前をご存知の方は結構いらっしゃるのではないでしょうか。本日は、彼女の生涯を見てまいりましょう。
・「降伏しないと子供ブッコロすぞ!」と言われた彼女
カテリーナは群雄割拠だった時代のイタリアで、ミラノの領主ガレアッツォ・スフォルツァの娘として生まれました。庶子だったのですが、これはあまりデメリットにはならなかったらしく、11歳のときローマの貴族に嫁ぎます。
しかし夫がアレコレやらかして失脚したため、一家揃って領地であるフォルリという町に移り住みました。フォルリはローマのほぼ真北にある町で、大きくはないですが歴史ある町のひとつ。地図上ではローマとヴェネツィアのほぼ中間にあたります。しかしそのフォルリでも夫が反乱を起こされて殺されてしまいました。旦那どんだけ人望ないんだ……。
ここで起きた出来事が、彼女の名を歴史に残したきっかけになります。夫がブッコロされてしまった後、彼女と子供達は一度反乱側に捕らえられてしまったのですが、城内の兵士たちは降伏しませんでした。これに対し、カテリーナは「私が説得しましょう」といって城に戻してもらいましたが、全く戻ってくる気配がありません。
とうとう反乱側が焦れて「早く降伏しないと子供ブッコロすぞ!」と怒鳴りました。カテリーナは呼ばれた通り出て行きましたが、出た場所はなんと城の屋上。
そこで何をするのかと思いきや、バッとスカートをめくり上げ、「子供なんてここからナンボでも出てくらぁ!」とタンカを切ったのでした。カーチャンいろいろすげえ。
・日本では清少納言に似たエピソード
これは完全に余談ですが、清少納言の晩年にも似たようなエピソードがあります。