「リア充は心が満たされない?」遊んだり買い物したり旅行したくなる理由とは
ここ数年で定着した「リア充」という言葉。
いつの時代にも輝いている人たちはいて、そんな人たちは眩しくて人気者です。
しかし、みんなに人気のリア充は、本当にリアルが充実しているのでしょうか?
リア充そうに見せてるだけの「偽リア充」もいるのではないでしょうか?
あ、私が非リアで嫉妬して言っているわけではないですからね、念のため。
楽しいことを逃すな!
私が20代の頃にリア充という言葉はありませんでしたが、今で言うところのリア充の華やかな人たちは一定数いました。
よく働き、よく飲み、よく遊び、よく買う、当時のリア充はそんなイメージです。
華やかな人たちと一緒にいると、私もリア充になったような気分になりました。
実際は、やりがいのある仕事も、打ち込める趣味もなかったけれど、それらを地道に探すよりも、リア充の人たちと一緒に過ごす方が手っ取り早く肯定感を得られるのですから。
たとえ平日の深夜でも、飲み会の誘いがあれば出かけて、酒気帯びながら出勤する生活。
ある日起きたら全身に蕁麻疹ができていましたが、これぞ勲章! と、むしろ悪びれて自慢したことも。
これが充実した生活なんだろうか?
そんな疑問がよぎりますが、当時の私は、楽しいことはひとつも逃しちゃいけないと思っていました。
もし欠席した飲み会で、私以外の人たちが楽しいことに恵まれたり、すごくカッコイイ人が来ていたら大変ですから。
あなたが「本当に楽しいこと」は?
楽しいことがわからないから、それを見つけるために飲み会に行き、習い事をして、デートをしたり、買い物をする。
そして一人でいることが不安で仕方がなくなることも。
SNSで誰かの楽しそうな飲み会やイベントの投稿を見ると、自分だけ楽しい世界から隔離されたような感覚に陥ったり。
なぜ自分は誘われなかったのか、自分は寂しく過ごしているのに、理解してくれる人が少ないのはなぜなのか、と被害妄想を抱くことも。
先日、20代の頃の日記を読み返してみたら、「私なんて」とか「消えたい」などと一人の夜を嘆くコメントが週一くらいで書いてあって、我ながら自意識の過剰さに呆れてしまいました。
どこかのリア充さんに乗っかれば、楽しいところに連れて行ってもらえると勘違いしていたのでしょう。
本当に楽しいことは、自分の足で地道に探すしかないのですが。
今なら、不安な気持ちを補うための、飲み会も買い物も、たとえ充実しているように感じても、一時的な欲望を満たすための、かりそめの行為だったとわかります。
【脱・リア充!】心が満たされていないリア充の滑稽さ
満たされた生活を送るためには、まずは満たしたいことが何なのか、じっくり見極めないことには始まりません。
誰かの楽しさに便乗しても、それが本当に求めることではなければ意味がありませんよね。
心が満たされていないリア充ほど、滑稽なことはありません。かつての私のように……。
部屋で一人で過ごしていても、恋人がいなくても、周囲からは非リア充だとからかわれても、あなたがその生活を心から楽しんでいたら、それはもう十分リア充ではないでしょうか。
リア充と非リア充の境目なんて他人に決められることじゃない! という結論に私は納得できますが、皆さんはどう思いますか?
日本の女性が20〜30代で悩む人生観・恋愛観を平理以子(たいら・りいこ)さんが連載します。次回の記事もお楽しみに。
第一話⇒普通のサラリーマンと結婚することが、いつからあなたの夢になりましたか?
第二話⇒【会社辞めたい】どうして「逃げること」は悪いことだと思われているのか?
第三話⇒「リア充は心が満たされない?」遊んだり買い物したり旅行したくなる理由とは