信号機はいつから赤・青・黄なの?信号機の起源と歴史に関するマメ知識 (2/4ページ)

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アメリカではデトロイトで最初に赤青黄の信号が使われる(1920年代)

 一方、海を隔てたアメリカでも交通整理は警察官が自ら行っていた。警察官がその場にいなければ、人々がルールに従わないと考えられていたためだ。1910~20年代には警察官が立つ物見台がお馴染みの光景となっていた。この期間、警察官は赤と緑の照明や手旗信号、あるいはシンプルに腕を使った方法を利用していた。

 1920年、ミシガン州デトロイトの警察官ウィリアム・L・ポッツが4方向3色の信号機を発明した。こうして、デトロイトは交通整理に青赤黄の信号を使った世界初の都市になった。その後も、多くの発明家がこぞって様々な信号機を考案し続けた。青赤黄の配色を利用したものもあれば、そうでないものもあった。だが、ほとんどは照明を変えるためにボタンを押したり、スイッチを切り替えたりする人間を必要としており、当然ながら人力信号機は非常に経費がかかった。

自動信号機は1920年代後半にアメリカで開発される

 1920年代後半、ついにいくつかの自動信号機が発明された。最初の装置は、単純に一定間隔で光を変化させるものだった。しかし、道路に車がいないのに信号待ちしなければならないことが、人々を苛立たせた。

 この問題を解決する方法を編み出したのがチャールズ・アドラー・ジュニアという発明家だ。彼が開発したのは、車のクラクションを検出する信号機だ。ポールにマイクが内臓され、停車した車がクラクションを鳴らせば信号が変わった。クラクションを鳴らし続けて混乱が起きないよう、一旦信号が変わると10秒はそのままで、1台通過するだけの時間が確保された。もちろん、歩行者や周囲に住む人にとっては大迷惑だっただろう。

 ヘンリー・A・ハウはより迷惑が少ない自動信号を発明した。彼の発明は、圧力を検出する2つの細長い金属を利用したものだ。通過する車が2本の棒を同時に押すと、信号が変わるようになっていた。

 こうして数種類の信号が登場したが、それもまた問題になった。場所によって信号のシステムが違うため、ドライバーを混乱させたのだ。そこで、1935年、連邦道路管理局は「統一交通管理装置マニュアル」を作成し、信号機に関する統一基準を設けた。
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