江夏、KKコンビ、大谷…プロ野球オールスター「熱すぎる名勝負」 列伝 (3/4ページ)

日刊大衆


「また、山口は当時、日本最速のストレート投げる投手でしたが、捕手の中沢伸二は掛布の3打席連続を阻止するため、あえて山口にカーブを投げさせたんです」(ベテラン記者)

だが、2球続けたカーブを掛布は見逃さなかった。
腕を畳み、体の回転で打つ独特のフォームで捉えたボールは、満員の右翼スタンドへ一直線。中距離打者だった掛布が長距離砲として覚醒した瞬間だった。

翌79年、掛布は当時の球団記録となる48本塁打を放ち、本塁打王を獲得。78年オフに西武に移籍した田淵幸一に代わってミスター・タイガースを"襲名"した。
「ヒットを打つ技術は持っていた掛布が、あの頃から左方向に大きいのを打てるようになった。ランニングと守備練習に熱心に取り組み、下半身が強化されたことが長打量産の原因でしょうね」(江本氏)

87年のオールスターでは、高校球界のスーパースターだったKKコンビ、巨人の桑田真澄(19=当時)と西武の清原和博(19=当時)の一騎討ちが実現した。
83~85年の3年間、名門PL学園は5大会連続で春夏の甲子園に出場し、1年と3年の夏に優勝、準優勝2回。その原動力となったエースと4番の運命は、85年のドラフト会議をきっかけに暗転する。

巨人の指名を信じて疑わなかった清原だが、巨人は早大進学を明言していた桑田を指名。6球団から指名された清原は西武に入団し、1年目から31本塁打を放って、パの新人王になった。
一方、桑田の1年目は2勝どまり。こうして迎えたプロ2年目に2人のオールスター対決が実現した。

7月28日、甲子園球場で行われたオールスター第3戦。全セの先発・桑田は1回表1死一塁で全パの3番・清原を打席に迎える。その初球、桑田渾身のストレートをドンピシャのタイミングで清原のバットが弾き返すと、打球は放物線を描きながら左翼席へ。
「両手を突き上げて喜びを爆発させる清原と、呆然と打球を見送る桑田の能面のような表情が対照的でしたね」(スポーツ紙デスク)

2回表の2度目の対決は桑田が清原を二塁ゴロに打ち取ったが、野球ファンの軍配は、清原に上がったと言えるだろう。

PL学園でKKコンビの2年後輩だった野球評論家の橋本清氏が回想する。
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