【続編】『1992年の東京の日常風景』映像の撮影秘話をインタビュー! (2/5ページ)

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日本産業映画祭で外務大臣書を受賞したとの報告をいただきました。
国内で外務大臣賞を受賞したため、その後、海外の映画祭にも出展されたそうです。

映画祭には同行できなかったのですが、海外在住の日本人の方に見てもらったところ「非常に懐かしい」と涙を流し、喜んでいたそうです。」

Q4.海外の方の反応はどうでしたか?

「もともと、ソニーから依頼があった際、監督が「文字情報やナレーション等の説明の一切を排除した映像にする事で、世界中の誰が見てもわかるようにしよう」というプレゼンを行いました。その案が通り、このような作品になりました。

海外の方の意見は直接聞くことができませんでしたが、前述の海外在住の日本人の方は「余計な言葉・文字・説明が無いことが功を奏しているのではないか」とおしゃっていたそうです」

Q5.当時の撮影機材はどんなものでしたか?

「カメラは全てSONY製です。中継車も、全てSONYの物でまかなわれていました。
また、CCDのHDカメラも台数がまだ少なく、場合によっては最初期型の撮像管カメラを使う事もありました。

今でこそiPhoneでも撮影出来てしまうフルHDですが、当時はテープもまだリールの状態で、カセット式ですらなく(ロースペックのユニハイを除く)、撮影には2t以上の中継車が必要で、どんな場所で撮影するにもケーブルでカメラと中継車をつなぐ必要がありました。ビルの屋上で撮影であれば、屋上からケーブルを垂らし、上野動物園であれば、園外から猿山までケーブルを引き回す必要がありました。
撮影現場は主に中継車にSONYの技術者の方が2〜3名、後は監督含め数名しかスタッフが居ないため、ケーブルの引き回しと収納が常に一苦労だったのを覚えています。

撮影シーンによって、ステディーカムと言う特殊機材も使いましたが、常にケーブルがついているためにバランスが取りづらく、とても難儀したのを覚えています。

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