ろくでなし子×架神恭介スペシャル対談「女性器と仏教の類似性について」 (2/4ページ)

デイリーニュースオンライン

まん中を崇める差別

──僕たち、男の子はおっぱいやまん中に対して、「おっぱい!」「まん中!」とワッショイな気持ちになります。ですが、ろくでなし子さんの仰るように、それらをただの肉体の一部と考えてしまうと、そういったワッショイな気持ちが失われてしまうのではないかという危惧もあるのです。たとえば常に裸で生活している文化圏の女性のおっぱいを見ても、僕はあまりワッショイできないのです。

ろくでなし子「それは男性の見方ですね~」

──と、言われますと?

ろくでなし子「セックスって大笑いしながらできないじゃないですか。隠微というかコソコソしながらするのが楽しかったり、興奮するじゃないですか。私がやってることはまん中をバカバカしく笑わせるようなものにしているので、そういった隠微さからは離れていってますよね。それで女性の気持ちは救えると思うんですけど、男性的に見たら、いやいや……と思う気持ちも多少分かります」

ろくでなし子さんのまん中アート。隠微からは程遠い

──女性が救われるというのはどういうことでしょうか?

ろくでなし子「男性は気付かないと思うんですけど、女性は常にモノとして見られてるんですよ。痴漢とか、男性もされる場合もありますけど、女性がほとんどです。全くの他人の女性の身体を触るなんて、モノとしてしか見られてないんですよね。キレイだとかカワイイだとかブスだとか見た目ですごく消費されますし。一方で、男性がそういう評価のされ方をすることは比較的少ないですよね。消費対象物として見られて、歳を取って行ったりすると、人間として見られなくなっていく……『ババア』になっちゃって。女ってのはそういう悲しい生き物なんですよ」

──確かに、まん中も女子高生のまん中と婆さんのまん中では全然意味合いが違ってきますね。

ろくでなし子「でも、同じ人間でしょう、男と女って。まん中に対してすごく崇め奉ったり神聖視したり、逆に蔑んだり、汚いとか、臭いとか……対等じゃないんですよ。上に持ち上げたり下に蔑んだりするんじゃなくて、普通の目線……男性器と同じくらいの目線で見るのが、私としては平等だと思うんですけど」

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