開国を求めるも船が難破…日本人と船を作りながらそのまま条約締結までしちゃったロシアのプチャーチンが尊い

Japaaan

開国を求めるも船が難破…日本人と船を作りながらそのまま条約締結までしちゃったロシアのプチャーチンが尊い

1854(安政元)年、ロシアのエフィム・ワシリエヴィチ・プチャーチンが、日本に開国と通商を求めて、「ディアナ号」で来日しました。このときのディアナ号といえば、3本マスト、2,000トン、52門の大砲と488名のスタッフを乗せた、当時ロシアの最新鋭戦艦でした。 エフィム・ワシリエヴィチ・プチャーチン プチャーチンは、はじめ箱館に、次いで大阪に、さらに下田まで船を寄せ、幕府方代表の筒井政憲等と粘り強い交渉を進めて...

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