映画『進撃の巨人』が酷評されるワケ「不自然な描写の連発」|架神恭介コラム (2/2ページ)

デイリーニュースオンライン

 が、それでも。人類の命運を賭けた一大作戦の最中にいんぐりもんぐりして壊滅する様は「アホ」の一言です。たとえ作り手側にそのような「表現したいもの」があったとしても、不自然な描写であることに変わりはありません。「表現したいもの」を優先したあまり、リアリティが全く疎かになっている。アホにしか見えない。

 僕も作家ですから、表現したいものとリアリティのトレードオフは重々承知しています。リアリティを重視して不自然な展開を排除していって、その結果、雁字搦めになって描きたいものが描けなかった、というのでは本末転倒です。時には不自然さを押してでも描きたいものを描く必要があります。ですが、それはギリギリのせめぎあいの末に断腸の思いでそう決断すべきものだとも思うのです。

 リアリティは重視したい、不自然な展開は描きたくない、けれどこのシーンはどうしても描きたい……。せめて不自然さを軽減しようと、ギリギリまで足掻いて足掻いて、それでもどうしても不自然な箇所が少しだけ残ってしまう。それを大変に恥ずかしく思いながら、蛮勇振るって公開に踏み切る。

 本来そういうものだと思うのですが、本作はどこまで「ちゃんと足掻いたのか」? もっと足掻けるんじゃね、と思われても仕方のないレベルで不自然さが放置されています。スタッフは本当にこれで満足してるの?

 まあ映画ともなると、動く人間もカネも莫大ですから、スタッフがもっとしっかり足掻きたいと思っていても、様々な事情や思惑でロクに足掻けない、作り手自身も愕然とするような酷いものしか作れない、ということは往々にしてあるでしょう。様々な「駄作」の裏事情を聞いていると、「俺だってこれでいいとは思ってなかった。けれど、こうする以外に許されなかったんだ」といった話がよくあります。

 しかし、他の名作と呼ばれている映画たちが、そういった問題をも乗り越えて(もしくは、運良く悩まされず)名作を作ってきたことを考えると、実際にその点で失敗した「進撃の巨人」が酷評を受けるのも仕方のないところでしょう。

 ただ、前田氏も言っているように、登場人物のバカさも含めて後半の伏線という可能性は残されています(原作のニュアンスを考えるとあながち無いとも言い切れない)。ここまで全て計算づくであって欲しいものですね。

著者プロフィール

作家

架神恭介

広島県出身。早稲田大学第一文学部卒業。『戦闘破壊学園ダンゲロス』で第3回講談社BOX新人賞を受賞し、小説家デビュー。漫画原作や動画制作、パンクロックなど多岐に活動。近著に『仁義なきキリスト教史』(筑摩書房)

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