準暴力団規定された関東連合のルーツ「ブラックエンペラー」元支部長に聞く (2/3ページ)
「少年ヤクザがいましたからね、だけど入りましたよ。何台か潰されてはいますけど。もちろん、やられましたよ。自分は単車を2台潰されて、車も1台潰されています。廃車ですね」
――それはどんな経緯で?
「自分らは海を目指して走っていました、いつも。皆で集まって千葉とか茨城とか都内も含め各支部がどんどん合流して、かなりの台数になります。そして新宿とか色々な所で交通機動隊とか、ヤクザに追い掛け回されてばらばらになる。だけど事前の打ち合わせでばらばらになったら次に集まる場所を決めていますから、そこに徐々に台数が集まる。そこから今度は神奈川県に入ります。そこで今度は都県境の橋で神奈川の暴走族と必ず揉める。そこで潰されましたね、全部」
――今の世代の関東連合を名乗っている人間に何か声を掛けるとすれば。
「別にないですね、誰でも入っていたら関東連合を名乗るのは勝手だし。それだったら数万人いますよね、だから誰もがそれぞれ抱いている関東連合はあってもいいと思うし」
――現在の関東連合はまったく別と考えているようですが、何が違うのか?
「俺たちは"関東連合"を利用はしなかった。関東連合の思い出はガキの頃だけでいいですよ、青春とか言うとキザに聞こえるけど。俺たちは走るしかなかった。喧嘩して笑って。時代が違うのかな」
――そう言えばWさんはあの頃の写真集に大きく載っていますよね?
「何冊も出ましたね(笑)。未だに家にあります。特攻服と一緒にタンスの奥にあります」
――関東連合の同期の人間とは今でも親しい?
「親しいですよ。一緒に走った仲間だし。忘年会とかも必ずやっています。もうあれから30年経っても仲はいいです」
◇◇◇
誰もがそれぞれの想いを抱く様々な形の関東連合。右翼になった人間、ヤクザになった人間、それらとは一線を画してW氏の様に普通に生活を送っている人間もいる。
当時の暴走族は大人ではなかった。まだ分別のつかない未成年から成人になったばかりの人間の集まりである。1人1人決して強くはなかったが、同時に弱くもなかった。それは仲間がいたからである。大人の世界には近寄らない。