吉田豪インタビュー企画:長州力「橋本は蝶野や武藤以上に一歩も二歩も先にいってた」(2)
プロインタビュアー吉田豪が注目の人物にじっくり話を聞くロングインタビュー企画。長州力をゲストに迎えての第2回となる今回は、そのプロレス哲学について聞いた他、数々の名フレーズの秘密、故・橋本真也氏とのエピソードなどについて語っていただきました!
前回記事:吉田豪インタビュー企画:長州力「業界に入るまで、プロレスを全然観ていなかった」(1)
革命戦士になる前、もらったチャンスを全部棒に振っていた
──長州さんはプロレスを「仕事」と呼ぶのも特徴的だと思うんですよ。
長州 うん、そうですね。
──それはある種の割り切りなのか、なんなのか……。
長州 最初の頃は「仕事」っていう言葉すら言ってなかったと思います、業界に入ったときは。何かプロレスというものをちょっと自分でわかって、自分が動かしていけるようになってからっていうか。僕はやっぱり贅沢にも何回かチャンスをいただいて、そのチャンスを全部棒に振ってますからね。
──ああ、革命戦士になる前のチャンスはすべて。
長州 うん。半分は、これはもうどうでもいいやっていう思いはありましたね。海外に行ってもそんなに……うん、帰ってきて「じゃあもう、やれるぞ!」って意識もないし。反対に、このままこっちにずっと居座ったらどうなっちゃうのかなとか、居座りたいなっていう思いもあって。若かったですからね。
──向こうは自由で居心地もいいし。
長州 うん。それで適当にっていうこともできるし、若いからそういう考えを持ったんだろうけど、何年目かな? 2年過ぎたあたりぐらいから、向こうで体験してから、プロレスってある部分ではおもしろいなっていうような感覚が出てきて。まあ、自分でも動けるようになってきて。そうすると若いから、このままで適当に1試合いくらもらってれば、こっちのほうが環境もいいし、食うに困るわけでもないしという、安易な考えを持ったのは間違いないですよね。
──新日流の試合しか知らない選手が、アメリカでプロレスに目覚めるパターンって多いですよね。
長州 本来プロレスっていうのはこういうもんじゃないといけないっていうものはないんだけど、やってて楽しい反応は少しずつ感じてきて、そこからですね。チャンスをもらって海外に出る前っていうのは、反応っていうものはいったいなんなんか、それすらわかんないで、ただリングで黙々とやってるだけで。まるでアスリートのアマレスみたいな試合だったんですけど、海外に行ってちょっと自分の体が動くようになってくると、そういう反応が出てきて、なんかおもしろいもんだなって感じにはなってましたね。
──だんだんプロレスがわかってきて。
長州 僕はちょっと考えすぎましたね。猪木さんはどうだか知らないけど、僕はプロレスの捉え方をちょっと考えすぎました。
──考えすぎた?
長州 うん。それはそれなりに深いものなんですよね。その深いものを、それは僕の考えであって、リングに上がって同じことをやってるんだけど、じゃあおまえはどうなんだって、それを押し付けることはないですよね。たぶん僕はちょっと深く考えすぎたんでしょうね。
──プロレスって考え方の違う者同士が闘うからおもしろいと思ってるんですけど。
長州 ああ、うん……。
──そうでもないですか?
長州 いや、そういうものはありますよ、うん。
──わかり合えた者同士の闘いもやっぱりいいですけど。
長州 うん。でも、リングのなかでは絶対に同じ色ではダメなんですよ。同じ色同士がやってて、自分はもっとなんか……同じ黒でいいんだけど、でも俺はもうちょっと色をつけるよっていうようなものを自分でなんとなく考えて、そういう自分を作り上げるっていう。それが最終的には長州力っていうキャラみたいなものになっていっちゃったんでしょうね。そこまで考えてリングに上がる選手はどれくらいいるのか。でも、それはあくまでも自分の考えであって、これはこうなんだよっていうことはないですね。
アントニオ猪木に教わったものとは?
──本を読んでると、本名の吉田光雄という人とプロレスラー・長州力は違うんだなっていうのはすごい思いました。
長州 最近はどっちがどっちかわかんないけど。
──猪木さんが「24時間アントニオ猪木を演じる」って言われていたのに近いと思ったんですよ。長州さんも長州さんを演じてきて。
長州 うん……だからさっきと一緒で、猪木さんは24時間アントニオ猪木でいなきゃいけないっていうけど、周りの人間はあの人をどういうふうに見るかということで。僕は僕で、僕なりの感覚で捉えて見てた部分では、あれはちょっと深いなっていう自分なりの感覚を持っただけで。
──結局、タイプは近いんですかね?
長州 だから同じ色でやってて、なぜこんなにも違っていくのかなっていうのはどっかにあって。勝ち負けは別として、どっかに何かがないといけない。そのへんから僕は僕なりに何が違うのかなっていう部分は、僕は僕なりに見るようになったですね、いろんな部分を。そうすると、これはこういうことなのかなって。
──自分なりに理解して。
長州 この業界はあまり手取り足取り教えるっていうアレでもないし。だから猪木さんから教わったっていうことは、なくもないです。少ないんですけど、その少ないことがものすごくあとになって、「あ、あの人はじつはこういうことを言ってたのかな」って自分の悟り方っていうものが……それが合ってるかどうかわかんないですけどね。だからプロレスを深く考えるとおもしろい世界っていうか、ある部分では厳しいし、ある部分ではあまり教えたくないっていうか、べつに周りの人間は知りたくもないだろうけど……。
──ものすごい知りたいですよ!
長州 いやいやいや、これまたそんなにカッコつけて言ったって、自分の独りよがりでそういう捉え方をしたのかもわかんないし。
──それぐらいプロレスのことを考えてそうな人って、そんなにいないものなんですかね?
長州 それすらもわかんないですね。藤波(辰爾)さんなんかどうなのかなと思いますよ。でも、少なくとも猪木さんがまだ現役で頑張ってる頃に周りにいた昭和の選手は、どっかにあの人の怖さなり、威圧感なり、変な意味じゃないプレッシャーなりをみんなとらえてましたからね。そういうものがいま新日本でもどこの団体でもあるかっていったら、たぶんもうないと思いますよ。それはいまの時代は全然いいんじゃなかなと思いますけどね。
──怖さや威圧感って意味でいうと、ボクは長州さんとか天龍(源一郎)さんには絶対近寄っちゃいけないってずっと思ってましたからね。
長州 そんなことないですよ! ホントにそんなことはない。
──誤解なんですね(笑)。プロレスについて深く考えてるからこそ、長州さんのインタビューにはすごくいいフレーズがよく出てくると思うんですよ。
長州 そんなこともないですよ、みんな言いますけど。名言集とか言うけど、そんな名言なんてなんにもない(あっさりと)。
──怒ったときの長州さんの言葉のキレとかすごいですよ! UWFインターナショナルの対抗戦の前にUインターをボロクソに言ってたのがホントに好きで。「お前が死んだら墓に糞ぶっかけてやる!」とまでは、なかなか言えないですよ(笑)。
長州 ハハハハハ! ホントに安生(洋二)選手には申し訳ないこと言った(笑)。
──長州さんが謝った(笑)。当然、ああいうのは本音なわけですよね。
長州 本音ですよ当然! あんなの前の日とかに考えないよ(笑)。全部本音です。だからたしかにスイッチのオンとオフを自分でうまくパッパッとできてたんだけど、いまはそんなにリングに上がることもないから、そういう感覚がどんどんなくなっていって。いまはどっちがオンなのかオフなのかわかんない状態で、あんまりプロレスの話になっちゃうと……。
橋本真也との確執と本音
──今日はこんな感じで、本に出てないエピソードをいくつか聞けたらと思ってたんですけど。
長州 でも、そういうのもないですよ。自分からエピソードを出そうとか考えようとも思わない。
──たとえば橋本真也さんとの関係とか、もうちょっと掘り下げてみたいと思ってて。
長州 チンタですか?
──チンタです(笑)。橋本さんのチンタっていうあだ名の由来が、この本だと「チンタラしてるから」って書かれてましたけど。
長州 あれは、たぶん自分の聞き間違いだと思った。
──……っていう説をボクも聞いたことがあるんですけど。
長州 みんな「シンヤシンヤ」って言ってるのを、僕はこいつの名前は橋本チンタかと思って。
──そんなわけないですよ(笑)。
長州 いやいや、みんなが「チンタチンタ」って呼んでるように聞こえて、僕が「チンタ」って呼んでも、あいつ自身も「シンヤ」って呼んでるのか「チンタ」って呼んでるのかわかんないから返事して、それからもう「チンタチンタ」って。まあ、おもしろいニックネームがついたよ(あっさりと)。
──橋本さんも変わった人だったじゃないですか、良くも悪くも。
長州 変わってるっていうか……まあ、特に個性を持った男で。もうちょっとちゃんと取り組んでいってれば、ああいうこと(05年、40歳のとき脳幹出血で死去)も起きなかったし、もうちょっと達成したんじゃないかなと思いますよね。あの世代のなかでは彼の個性のインパクトは一番強かったですから。でもおもしろいもんで、すべてがうまくいかないんですよ。なんでこの業界入ってきたのかわかんないぐらいもったいないことをしたなと思うんですよね。(武藤)敬司にしろ蝶野(正洋)にしろチンタにしろ、3人とも個性があるんだけど、インパクトはチンタが一番出せましたからね。
──長州さんとは仲良くないように見えて、不思議な信頼があった感じがしたんですよ。
長州 あいつ、そういうのがうまいところで、ふたりで話すと意外と素直なんですよ。素直どころか飼い猫みたいで(笑)。
──飼い猫!
長州 妙におとなしいヤツだなと思うぐらいにね。ホントにもったいないことをしたなと思って。
──橋本さんって新人の頃、試合前にみんなでランニングとかしながら長州さんの入場テーマの替え歌を歌ってた話とか有名じゃないですか。
長州 え! それは聞いたことないですね。
──知らないんですか? 『パワーホール』に乗せて、「♪長州力~腕が短い 長州力~脚が短い 長州力~全部短い」とか、いろんな先輩の入場テーマの替え歌を熱唱しまくってたって聞いて、「そういうことばかり歌ってるから仲が悪くなるんですよ!」って突っ込んでたんですけど(笑)。
長州 ハハハハハ! そんなことないですよ(笑)。そういう部分は全然問題ないんですよね。
──長州さん率いるジャパンプロレス勢が新日本に出戻りしたとき、ちょっとしたトラブルもあったじゃないですか。橋本さんがキックでヒロ斉藤さんの指を折って、控室で長州さんたちに制裁されたりの。
長州 ああ! あったね。でも、あれはお仕置きみたいなもんで、チンタじゃなくても誰でも同じような状況にはなったと思いますよ。「何バカやってんだ!」っていう、そういうのは。あいつも感情が激しいとこあるし。レスラーらしいレスラーで、キャラも十分あって。そして訴えるインパクトは持ってますからね。それは蝶野や敬司以上に、一歩も二歩も先にいってた。僕から見たらですけどね。
プロフィール
プロレスラー
長州力
長州力(ちょうしゅうりき):1951年、山口県出身。ミュンヘン五輪出場の実績をひっさげて、1974年に新日本プロレスでデビュー。“革命戦士”の異名で大人気を獲得する。以後、新日本だけでなく、全日本プロレス、WJプロレス、リアルジャパンプロレス、ドラディジョンなど様々なマットで活躍。2010年からは、藤波辰爾、初代タイガーマスクと「レジェンド・ザ・プロレスリング」をスタートさせている。
プロフィール
プロインタビュアー
吉田豪
吉田豪(よしだごう):1970年、東京都出身。プロ書評家、プロインタビュアー、ライター。徹底した事前調査をもとにしたインタビューに定評があり、『男気万字固め』、『人間コク宝』シリーズ、『サブカル・スーパースター鬱伝』『吉田豪の喋る!!道場破り プロレスラーガチンコインタビュー集』などインタビュー集を多数手がけている。また、近著で初の実用(?)新書『聞き出す力』も大きな話題を呼んでいる。
(取材・文/吉田豪)