吉田豪インタビュー企画:長州力「橋本は蝶野や武藤以上に一歩も二歩も先にいってた」(2) (1/3ページ)
プロインタビュアー吉田豪が注目の人物にじっくり話を聞くロングインタビュー企画。長州力をゲストに迎えての第2回となる今回は、そのプロレス哲学について聞いた他、数々の名フレーズの秘密、故・橋本真也氏とのエピソードなどについて語っていただきました!
前回記事:吉田豪インタビュー企画:長州力「業界に入るまで、プロレスを全然観ていなかった」(1)
革命戦士になる前、もらったチャンスを全部棒に振っていた
──長州さんはプロレスを「仕事」と呼ぶのも特徴的だと思うんですよ。
長州 うん、そうですね。
──それはある種の割り切りなのか、なんなのか……。
長州 最初の頃は「仕事」っていう言葉すら言ってなかったと思います、業界に入ったときは。何かプロレスというものをちょっと自分でわかって、自分が動かしていけるようになってからっていうか。僕はやっぱり贅沢にも何回かチャンスをいただいて、そのチャンスを全部棒に振ってますからね。
──ああ、革命戦士になる前のチャンスはすべて。
長州 うん。半分は、これはもうどうでもいいやっていう思いはありましたね。海外に行ってもそんなに……うん、帰ってきて「じゃあもう、やれるぞ!」って意識もないし。反対に、このままこっちにずっと居座ったらどうなっちゃうのかなとか、居座りたいなっていう思いもあって。若かったですからね。
──向こうは自由で居心地もいいし。
長州 うん。それで適当にっていうこともできるし、若いからそういう考えを持ったんだろうけど、何年目かな? 2年過ぎたあたりぐらいから、向こうで体験してから、プロレスってある部分ではおもしろいなっていうような感覚が出てきて。まあ、自分でも動けるようになってきて。そうすると若いから、このままで適当に1試合いくらもらってれば、こっちのほうが環境もいいし、食うに困るわけでもないしという、安易な考えを持ったのは間違いないですよね。
──新日流の試合しか知らない選手が、アメリカでプロレスに目覚めるパターンって多いですよね。
長州 本来プロレスっていうのはこういうもんじゃないといけないっていうものはないんだけど、やってて楽しい反応は少しずつ感じてきて、そこからですね。チャンスをもらって海外に出る前っていうのは、反応っていうものはいったいなんなんか、それすらわかんないで、ただリングで黙々とやってるだけで。まるでアスリートのアマレスみたいな試合だったんですけど、海外に行ってちょっと自分の体が動くようになってくると、そういう反応が出てきて、なんかおもしろいもんだなって感じにはなってましたね。
──だんだんプロレスがわかってきて。
長州 僕はちょっと考えすぎましたね。猪木さんはどうだか知らないけど、僕はプロレスの捉え方をちょっと考えすぎました。
──考えすぎた?
長州 うん。それはそれなりに深いものなんですよね。その深いものを、それは僕の考えであって、リングに上がって同じことをやってるんだけど、じゃあおまえはどうなんだって、それを押し付けることはないですよね。たぶん僕はちょっと深く考えすぎたんでしょうね。
──プロレスって考え方の違う者同士が闘うからおもしろいと思ってるんですけど。
長州 ああ、うん……。
──そうでもないですか?
長州 いや、そういうものはありますよ、うん。
──わかり合えた者同士の闘いもやっぱりいいですけど。
長州 うん。でも、リングのなかでは絶対に同じ色ではダメなんですよ。同じ色同士がやってて、自分はもっとなんか……同じ黒でいいんだけど、でも俺はもうちょっと色をつけるよっていうようなものを自分でなんとなく考えて、そういう自分を作り上げるっていう。それが最終的には長州力っていうキャラみたいなものになっていっちゃったんでしょうね。そこまで考えてリングに上がる選手はどれくらいいるのか。でも、それはあくまでも自分の考えであって、これはこうなんだよっていうことはないですね。