吉田豪インタビュー企画:長州力「いまでもアキラに言うよ、わざと蹴っただろって」(3)
プロインタビュアー吉田豪が注目の人にガチンコ取材を挑むロングインタビュー企画。長州力のインタビューは今回がラスト。プロレスのリングで起きた不穏な試合、マダガスカルで起きた事件、緊急参戦した『朝まで生テレビ』、そしてご自身の「国籍」や日本における差別のことなどを、じっくりと語っていただいた!
前回記事:吉田豪インタビュー企画:長州力「橋本は蝶野や武藤以上に一歩も二歩も先にいってた」(2)
“成立する試合”と“成立しない試合”
──長州さんが現場監督をやってた時期でいうと、99年1月4日の新日本の東京ドーム大会の小川直也vs橋本真也戦がおかしな試合になったこともあったじゃないですか。長州さんも、あのときはかなり怒ってらっしゃいましたけど。
長州 だから同じ色でやってきて色を変えるっていうのはありえないですよね。それは絶対に成立しないんですよ。ただこの成立しないもののなかからインパクトを見出すっていうことは、その頃の小川選手には絶対できない。橋本だったら出せるのかなと思うぐらいのものは持ってると思うんですけどね。ただでも、あのふたりだけでそういう流れになったとは思わないですよね。やっぱりうしろには無理な色をつけようとした者がたぶんあったんですよね。それはちょっとダメですよね。
──つまり、猪木さんなりが小川さんに違う色を付けたってことですかね。
長州 僕も昔、(前田)日明とも顔面蹴り(87年11月19日、新日本の後楽園ホール大会での維新軍とUWFとの6人タッグ戦で、サソリ固めを仕掛けていた長州の顔面を前田日明が背後から蹴り飛ばし、全治一ヶ月の重症を負わせたとのことで前田が無期限出場停止処分となった事件)の問題があったけど、いまでも日明に会うと「俺はもう許してるから正直に言え、おまえわざと蹴っただろ!」って言うんだよ(笑)。日明は「いやいやいや!」って否定するの。「でもおまえ、わざと蹴っただろ!」「いやいや、絶対違います! お兄さんがちょっと横向いたんですよ!」「バカなこと言ってんな、俺が何年やってると思ってんだ!」って(笑)。
──あれも、いわゆるプロレスという枠のなかではギリギリの試合だったと思うんですけど。
長州 やっぱり起きたことが全部成立するわけじゃないですからね。何十年もやってきて全部成立させちゃうっていうのは、じゃあどれぐらいあるのかっていう部分のなかで、もし成立しなかったら、そのままほったらかしとくのかっていう部分があるわけですよね。それはあくまで自分の考えですよ。成立しなかったら、その成立しなかったヤツに何かつけたらどうなるんだっていう発想を常にやってましたね。
──つまり、普通にやったら成立しないような試合でも、こうすれば成立できるんじゃないかって提案してみるわけですか?
長州 うん、それはもっと違った成立のさせ方があるとか。最後にはそういうことばっかり考えてましたよね。でも、みんなっていうか、選手と話すわけではないですけど、そういうことを会社の人間と話したって、鼻でフンッてヤツが多かったですよね。ただ不思議と、その頃ちょうど僕はちょっと距離を置いた猪木さんは、すぐそこに乗っかっちゃうっていう。
──「おもしろいじゃねえか!」と理解してくれて。
長州 やっぱりそういう嗅覚がすごいですからね。「おまえもやっぱりそう思うか」って言われたら、ほんとにそうなっちゃう(笑)。まあ、いろいろそういうものがありながら東京ドーム大会をやってきたわけだし。裏のほうは、みんなが考えてるほど楽なもんじゃなかったですよ。成立しないものはたくさんありましたね。
──選手としての長州さんも、この相手とは成立しないな、みたいな試合がありましたよね。
長州 ……ありますね。うん、ある。何試合かありますね、成立しないっていうのは。
──小川さんとのタッグマッチ(01年5月5日、福岡ドーム大会での小川直也&村上和成対長州力&中西学戦)とか、最後の佐々木健介さんとのシングルマッチ(05年8月4日、両国国技館のW-1トーナメント)とかは正直そんなふうに見えましたけど。
長州 いや、それは、もうちょっと時間があればできたかもわかんないですね。そんな難しいアレじゃなかった。でもやっぱり、それを成立させて、それが仕事になるかっていったら、これはまた別なんですよね。成立させるっていうことは、興行会社ですから、興行も含めて成立させるっていうことが第一条件ですよ。それがない限りは絶対無理です。どんなに簡単にできるものでもできないですよね。だから、その時代、年間の契約にもやっぱりそういう部分は見てあげられたから、そこは責任持って、ひとりひとり時間かけてやりましたよね。
──そういう部分も契約更改時の査定に反映されたわけですね。
長州 「おまえ来週の月曜日。後回し」とか、ああだこうだ言いながら(笑)。でも、たぶん業界では査定をしてくれるっていう時代は終わったから、その頃はみんなよかったと思いますよね。それだけの興行収入が、イケイケでやってましたからね。
──一番平和な時代でしたよね。
長州 うん、もうイケイケだったから。査定は、必ずやってやりたいっていう部分はありましたね。
マダガスカルで恐怖の寄生虫に感染
──本に出てない話シリーズで、これは個人的に聞きたいことなんですけど……。
長州 ……またプロレスの話ですか?
──すいません! もう嫌ですか?
長州 なんか……うん。
──マダガスカルの話をちょっと聞いてみたいと思って。
長州 ああ、行ったなあ。もう何年ぐらい前? 20年以上?
──ジャパンプロレスの頃だから30年近く前ですよね。
長州 じゃあ35歳は過ぎてますね。37~38? 40前ぐらいじゃないですか? もう子供いたですから。
──あのとき現地の人と闘ったりしたじゃないですか。
長州 現地? ああ、ありましたね! 最近なんかいろんな番組でマダガスカルが取り上げられてて、ずいぶん首都も大きくなったな、すごい変わったなって感じますよね。たしかに現地の人間と……まあ、現地の人間ったって……。
──向こうの屈強な若者の挑戦を受けたっていう。
長州 でも、みんなマッチみたいに細かったから。
──当時の新日本の選手って、猪木さんとかもそうですけど、よくアフリカとかに行って現地の人の挑戦を受ける企画を特番とかでやってましたけど。
長州 あれはべつに挑戦でもないし、ただ参加しただけで。そしたら、勝てばお嫁さんひとりやるって言われて、やりましたねえ(笑)。
──そのとき向こうで大病したみたいな噂も聞いたんですけど……。
長州 大病っていうか、寄生虫。注射を何本も打って行ったんですけどね、体内に入れちゃったらね。食べものが原因だったんですよね。
──ものすごい怖い寄生虫だったって聞きましたよ。体内はいずり回るような。
長州 うん、怖いですね。日本ってホントにすごいなと思いました。そういう寄生虫を研究してる先生もいて。最後はそこに飛び込んだですよね。
──ボク、その先生に会いました。
長州 藤田紘一郎先生?
──そうです。藤田先生の著書を読んでたら、寄生虫関係で「プロレスラーC・Rのケース」っていうエピソードが出てて、これ長州さんじゃんっていう(笑)。
長州 すごいたいへんな虫なのに、研究室で「おおっ、みんな集まって! これだ!」って言って、みんなで写真を撮ってましたね。
──長州さん、そこまで大変なときも試合してたんですよね。
長州 やってたんですよね。べつに痛いとか熱が出るとかじゃないですから。最後、熊本かどっかでこりゃダメだなと思って、飛行機で帰ってきて。これは違うぞっていうような。そしたらこういう研究してる人がいるっていうんで、そこにちょっと行ってみようかってことで行ったんです。
──それですぐ治ったんですか?
長州 すぐっていうか、その薬がしんどかったですね。やっぱり僕みたいな頑丈な人間でも、抗生物質みたいなのはすっごいだるくなるんですよね、なんかもう。それで試合も休んだんじゃないかな。何日か起き上がって歩くのもしんどいぐらいで。
長州力が考える「国籍」と「差別」
──あと、今回の本では国籍の話もかなり掘り下げてましたけど……。
長州 掘り下げてっていうか、もうみんな知ってるしね。
──それで思い出したのが、長州さんは『朝まで生テレビ』に出たこともあるじゃないですか。
長州 ありますよ(あっさりと)。
──しかもあのときはゲストでもなんでもなく、突然長州さんが現れて。
長州 そう!
──あれってなんだったんですか?
長州 あのときはちょうど僕の先輩がテレ朝にいて。なんか『朝生』でやってて、これは違うなと思って、聞きに行こうかなって。
──テーマが差別のときでしたよね。
長州 うん。で、先輩に「来る? じゃあ来てすみっこにでも座ってろよ」って言われたから行ったら、司会者が「緊急参戦!」みたいな感じで紹介して。でも、ゲストじゃなくてお客さんのほうにいたんですよ。
──あれ、リアルタイムで観てて驚いたんですよ。当時、新日本の事務所って六本木のテレ朝の本社の中にあったから、ぶらりと行けたのかなと思ってたんですけど。
長州 前もって連絡してましたよ。
──で、そのとき長州さんが言われたのが、「俺は差別されて強くなった」っていうことで。
長州 何をしゃべったかわかんないですけどね、でも日韓の部分でいろいろやり取りしてて、客もワーッと来てたから。
──何かが違うなと思ったんですか?
長州 うん、なんかみんな両サイドわけのわかんないこと言ってて、だからって俺がど真ん中に座るわけにもいかないし。まあ、それはもうあの時代だろうが、いつでもそうですよね。やっぱりイジメや差別の連鎖っていうのは変な人間を作りますよ。いまの世の中でもこれだけ異様な事件が起きて、これホントにおもてなしの国の事件なのかなっていう、異様な人間が作られる。昔だったら「こいつヤベえな」ってなんとなく雰囲気でわかったけど、いまはまったくわからない怖さがありますよね。娘もみんな海外から帰ってきて就職して、みんなひとりで住んでるから、怖いなと思いますよね。しょっちゅう電話で「ちゃんと生活しなきゃダメだぞ」って言ってて、子供たちは口うるさいなと思ってるかもしれないけど。
──今回の本で、長州さんが帰化申請中だっていうのも初めて知りましたけど。
長州 うん、帰化申請ですよね。子供たちと一緒に。やっぱり感覚もちょっと変わってきたっていうか、べつにどっちでもいいって部分はあるんですけど。娘たちも大きくなって、娘たちと海外旅行なんかすることが多くなって。
──それで不便もあるわけですね。
長州 そうですね。人間は生まれ育って教育を受けたところが故郷になるわけだから、そういう意味ではいまいろいろ揉めてるし、世の中の情勢のことでいろいろあるだろうけど。
──ネット上で在日の人がバッシングされるような時代になっちゃってますからね。
長州 あ、全然そういうの調べたことないですよ。僕、ネットは見ようと思ったことも見たこともない。
──そうなんですか!
長州 なんか反論ありますか? 反響とか。
──長州さんに対してとかじゃなくて、単純に民族差別的な人が増えてきている状況がまずあると思うんですけど。
長州 増えてきてるんじゃなくて、もともとイジメも差別も昔からあるわけだから。それは宗教や憎しみや、そういうところからみんないがみ合って、何百年もちっちゃい国が闘ってきてるわけでしょ。日本的な言い方かわかんないけど、差別やイジメはなくなるのが一番いいんだろうけど、なかなか。
──良くないことだけど、決してなくなりはしないと思いますね。
長州 なくならないと思いますよ。いまも学校とかそういうところでイジメや差別をして、されたほうは命を絶つっていうことが日本はすごく……日本だけじゃなくて、たぶんいろんな国でもあると思いますよね。こんなこと言ったらあれだけど、どっちみちイジメられるんだったら勇気を持ってぶっ飛ばせ(笑)。どっちみちイジメられるんだったら負けてもいいからぶっ飛ばしちゃえって思う。イジメられて自分の命を絶つなんてホントに……。でも、残念ながらそういうものはなくならないですよね。
──長州さんはインターネットを見ようとしたこともないって言ってましたけど、ネットのニュースサイト的なものは見ないですか?
長州 ああ、それは見ますね。なんやかんや言っていまのシリアの難民だってみんなヨーロッパの人間は柵を作っちゃうわけだから。いいこと言ったってみんなそうで、食料だってみんなぶん投げて、まるで動物にやるみたいにして、それがインターネットで配信される時代になっちゃった。あんなもん見ると、誰が人間で何が平和なのかわかんなくなっちゃいますね。まあ、それはそれで日本は世界でもODAで貢献してるんだったら、客船でもチャーターして難民を迎えに行って、どっかから連れて来て、国が少し安定するぐらいまでは面倒を見られるんじゃないかな。それは来るか来ないかは向こうの人たちが決めればいいことで。
──長州さん、やっぱりプロレス以外の話のほうが話しやすそうですね。
長州 いや、そんなこともないですよ。やることないから、いつもテレビ見てるだけ!
プロフィール
プロレスラー
長州力
長州力(ちょうしゅうりき):1951年、山口県出身。ミュンヘン五輪出場の実績をひっさげて、1974年に新日本プロレスでデビュー。“革命戦士”の異名で大人気を獲得する。以後、新日本だけでなく、全日本プロレス、WJプロレス、リアルジャパンプロレス、ドラディジョンなど様々なマットで活躍。2010年からは、藤波辰爾、初代タイガーマスクと「レジェンド・ザ・プロレスリング」をスタートさせている。
プロフィール
プロインタビュアー
吉田豪
吉田豪(よしだごう):1970年、東京都出身。プロ書評家、プロインタビュアー、ライター。徹底した事前調査をもとにしたインタビューに定評があり、『男気万字固め』、『人間コク宝』シリーズ、『サブカル・スーパースター鬱伝』『吉田豪の喋る!!道場破り プロレスラーガチンコインタビュー集』などインタビュー集を多数手がけている。また、近著で初の実用(?)新書『聞き出す力』も大きな話題を呼んでいる。
(取材・文/吉田豪)