巨人・原監督辞任から高橋由伸監督誕生までの”タブー暗闘”「原監督がユニフォームを脱ぐまでの経緯」 (1/2ページ)

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巨人・原監督辞任から高橋由伸監督誕生までの”タブー暗闘”「原監督がユニフォームを脱ぐまでの経緯」

 巨人に高橋由伸新監督が誕生した。3連覇の勢いがとぎれたチームに、フレッシュな風を吹き込んでくれることだろう。一方、電撃的な監督交代劇を演出したのは原監督の辞任だった。監督通算12年で7度のリーグ優勝を成し遂げた名将が、みずから球団を去った背景──。知られざる暗闘を全て書く!

 そこに「主」は不在だった。10月22日、2015年のドラフト会議が行われ、セ・パ12球団の関係者が一堂に集結。しかし唯一、巨人のテーブルだけ監督の姿がなかった。3日前の19日、原辰徳監督(57)が今シーズン限りで通算12年間にわたる指揮官としての経歴にピリオドを打ったばかりだったからである。

 その19日当日、退任会見に現れた原監督は、爽やかな表情を浮かべながら次のように語っていた。

「ここ3年ほどチーム力が低下し、成績も落ちてきた。何とかしようという気持ちがあったが、チームに新陳代謝が必要と感じた。新しいリーダーにチームを託すことのほうが正しい選択だと判断した」

 今季はリーグ2位に終わって4連覇を逃すと、17日のCSファイナルステージ第4戦でヤクルトに敗れ、逆転日本一の夢も潰えた。

「そろそろ、この辺が潮時かなと」

 ユニホームを脱ぐ決意が固まった時の心境を話す際、うっすら目には光るものがあったが、笑みは絶やさなかった。

 ただし、会見は和やかなムードで進行していたが、途中でやや微妙な空気が流れるシーンもあった。それは原監督が今後について問われ、こう述べた時だった。

「あまりにも背負っていたものが大きい。まずはゆっくり寝て、起きて‥‥。そういうことですかねえ。何かムクムクというものがあれば考えればいいが、今のところ何も考えていない。何かやるにしてもボランティア活動的なことをやろうかなと。来年1年間はフラットな形で色づくことなくいたい」

 通算12年間で7度のリーグ優勝と3度の日本一。長嶋(15年)、川上(14年)に次ぐ、球団歴代3位の在任期間で「Gの名将」と呼ばれるにふさわしい成績を収めたにもかかわらず、原監督は会見でみずから、一度ジャイアンツと離別することを明言したのである。

「巨人・原監督辞任から高橋由伸監督誕生までの”タブー暗闘”「原監督がユニフォームを脱ぐまでの経緯」」のページです。デイリーニュースオンラインは、週刊アサヒ芸能 2015年 11/5号高橋由伸原辰徳巨人プロ野球カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
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