紅白歌合戦“ドラマチック歌姫”の60年史!【<96年第47回>「女の漁歌」門倉有希】 (2/2ページ)

アサ芸プラス

門倉 お給料を全てつぎ込んで、さらに足りない分は父親に電話して振り込んでもらっていました。

──噂された恋人はすでに存在していた?

門倉 はい、同じように歌手志望だった人で。彼の家でゴロゴロしていて、仕事をすっぽかすことが増えていました。自分でもひどいことしたなと思ったのは、福岡の「KBC新人音楽祭」に行かなかったこと。実は最優秀新人賞に決まっていたのに、それをすっぽかしたんです。

──芸能界としては最大のルール破りでしょうね。

門倉 社長が福岡まで謝罪に行って、私には実家で謹慎するようにと。それからしばらくたって東スポの1面に「男と逃避行で失踪」と書かれましたが、厳密に言えば事実ではありません。彼が原因であったことは確かですが、その時は実家で引きこもっていました。

──デビューから半年後にいなくなって、そこから半年の自宅謹慎。新人であることを考えたら復帰は絶望的。

門倉 そうだと思います。ただ、いない間も事務所にはファンレターが届いていて、定期的に社長がそれを持って来てくれた。ある日、「もう1回歌うか?」と聞かれて、私は「覚悟はあります、歌いたいです」と答えました。そこから2年近くかけて、全国へお詫び行脚に出ましたよ。

──2年後の96年、「女の漁歌」でNHK新人歌謡コンテストに優勝し、特典として紅白に初出場。

門倉 ずっと歌を応援してくれたおじいちゃんが紅白の2週間前に亡くなったんです。形見の時計をポケットに入れて歌いましたが、あの姿を見せてあげたかった‥‥。いろいろ迷惑かけた私を紅白まで押し上げてくれたスタッフの方々には、今でも感謝しています。

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