紅白歌合戦“ドラマチック歌姫”の60年史!【<96年第47回>「女の漁歌」門倉有希】 (1/2ページ)
大きな期待を背負ってデビューした美貌の演歌歌手が、わずかなうちに男との逃避行で失踪──。衝撃的な報道の真相と、2年後の紅白初出場までの再起を門倉有希(42)に聞く。
門倉 よろしくお願いします。
──相変わらずみごとなハスキーボイス。酒焼けですか?
門倉 よく言われますけど、今はもう全然、飲んでいませんので(笑)。
──さてデビューは94年の「鴎…カモメ」という曲。それ以前には「第2の都はるみ」の新人オーディションで全国大会まで進んだし、かなり順調なステップでしたか?
門倉 よくわからないままにオーディションを受けて、福島から月に1回上京してレッスンを受けて。事務所の社長になる人は美空ひばりさんの有名なディレクターだったんですけど、私は「このおじさん、誰だろう?」くらいの感覚しかなかったですね。
──それが、プロの歌手でありながらの「違和感」に結び付いたように思える。
門倉 私は田舎の生まれですから、歌手というのはテレビとラジオとステージをこなす人だと思っていたんです。ところが実際は、来る日も来る日もキャンペーンで。
──特に演歌の新人の場合、必要不可欠。
門倉 そうなんですけど、全部で300軒は回りましたかね。1日に十数軒というのもザラでした。
──レコード店の軒先で、いわゆる「ミカン箱に乗って」のキャンペーン?
門倉 いや、ミカン箱もないですし、お客さんじゃなくてレジの店員さんに向かって「聴いてください」と歌うんです。カラオケもないし、マイクすらもありませんでした。
──心が折れましたか。
門倉 疲れてしまいましたね。それでお酒も飲み始めて、仕事よりも遊びに行くほうが楽しみになって。
──とはいえ、新人歌手の給料は微々たるものじゃないかと。