“伝説のいい女”に会いたい!「<恋人もいないのに>シモンズ・田中ゆみ」 (1/2ページ)

アサ芸プラス

“伝説のいい女”に会いたい!「<恋人もいないのに>シモンズ・田中ゆみ」

 その透き通ったハーモニーで、70年代のフォークブームにあって屈指の名曲とされた。シモンズが歌った「恋人もいないのに」(71年)だ。今も1人で歌い続けている田中ゆみ(62)が、青春の季節を語った。

 やはり歌い出しの「♪こォいィびとも~いなァいのに~」のフレーズが印象的だったんでしょうね。あの高音のハーモニーにインパクトがあって、いろんな人に受け入れていただいたんだと思います。

 私とパートナーの玉井タエは、高校時代に友達のつながりで知り合いました。2人で組んで歌うようになって、先にデビューしていたベッツィ&クリスの「白い色は恋人の色」が大ヒットしていて、私たちもああいうハーモニーが目標でカバーしていました。

 私たちは地元が大阪だったので、MBSの「ヤングタウン」のオーディションで合格したんです。そして高校卒業後に上京し、デビューが決まりました。

 あの「恋人もいないのに」は西岡たかしさん(五つの赤い風船)が作曲してくださいましたが、実はもう1つの候補があったんです。それは加藤和彦&北山修さんの「あの素晴らしい愛をもう一度」でした。私たちのデビュー曲候補で依頼されていましたが、あまりにも出来がいいのでご本人たちで歌われたそうです。もちろん「恋人もいないのに」は名曲ですが、もし「あの素晴らしい愛をもう一度」でデビューしていたら、歴史が変わっていたかもしれませんね。

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 シモンズがデビューした71年は、フォークブームが吹き荒れる前兆の年だった。吉田拓郎、井上陽水、かぐや姫らが“大爆発”の機会をうかがっていた。

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 私たちのライブの前座を務めていただいたのが井上陽水さん。その頃からすばらしい声で、楽曲もいいし、図抜けた存在でしたね。それでいて気さくな方でしたので、楽屋でよくお話ししましたよ。

 当時は大勢のアーティストが一堂に会するタイプのコンサートが主流でしたが、かぐや姫ともよく一緒になりました。南こうせつさんは私たちの「ひとつぶの涙」という4枚目のシングルが大好きで、ホールの階段で「歌って、歌って」とせがまれることも多かったですね。

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