K-1佐竹雅昭 PRIDEのファイトマネーMAXは2,500万円だった

学生の窓口

元K-1の佐竹雅昭が、10日の「ヨソで言わんとい亭~ココだけの話が聞ける(秘)料亭~」(テレビ東京系)にゲスト出演して、全盛期のファイトマネー収入を明かした。

1993年に日本には格闘技ブームが巻き起こしたK-1。
その旗揚げに関わった佐竹は、人気ファイターのひとりだった。
大晦日の夜には、毎年放送されるほどだったが、最初の頃は人気がなかった。

会場には人があまり入っていなかったので、観客がいるところだけ映したり、人気芸能人を招いたりして、人がたくさんいるように見せかけた努力の結果、徐々に人気があがっていった。

最初の頃は、100万円ほどの収入も、1999年の辞める前のファイトマネーは1,000万円だったと明かした。

その後2000年より、PRIDEに参戦。
「最後は、頭蓋骨陥没して、背骨まで折れた試合がある」とボコボコにされた試合もあった。

試合が終わった後に、鏡を見たら顔がへこんでいたため、「これは早く行かないとヤバイ」と思い、自分で車を運転して日大病院に行った。
頭に棒を入れてもらって治したが、今でも頭に陥没したあとが残っている。

「ファイトマネーを2,500万ぐらいちょうだい」と交渉したら、「いいですよ」と、あっさりとOKが出た。

そして2002年に現役を引退。
2013年には、自民党から「選挙出ませんか?」と公認をうけて参院選に出馬したが、落選。
現在は、趣味であるフィギア好きの趣味をいかして、サブカルチャー評論家として活躍している。

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