イチロー、落合、小久保を育てた名コーチは、なぜ最期に甲子園を目指したのか (2/2ページ)

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そして、次第に「若い子たちに将来に向かって生きる力を与える。そんな存在を与える、そんな存在になりたい。頑張れば何事もやれるということを教えてやりたい」と思うようになっていき、「高校球児を指導して甲子園制覇を果たす」という夢が膨らんでいったという。

とはいえ、当時、日本ハムからオファーがかかっており、プロ野球か、高校野球か、高畠本人も悩んでいたという。家族、高校時代の恩師に相談した末に、平成15年4月、59歳の異色の新米教師が誕生するのだった。

◼︎50代でも夢や希望を持って挑戦できる

病ため、わずか1年余りの教員生活となってしまったが、多くの足跡を残した。高畠氏を慕い、スポーツ科学系列の生徒たちばかりでなく、スポーツとは無関係の文化系の生徒たちも、学校に割り当てられた高畠氏の部屋を訪ねたという。

50代。サラリーマンならば会社員生活も終盤となる年代であり、いろいろなことに諦めや疲労感を感じる世代かもしれない。しかし、夢や希望を持って、挑戦することは何歳でも遅くはない。高畠氏の生き方や情熱は多くの人に勇気を与えてくれるはずだ。

(新刊JP編集部)
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