イチロー、落合、小久保を育てた名コーチは、なぜ最期に甲子園を目指したのか (1/2ページ)

新刊JP

『甲子園への遺言 伝説のコーチ高畠導宏の生涯』(講談社刊)
『甲子園への遺言 伝説のコーチ高畠導宏の生涯』(講談社刊)

春は野球の季節だ。甲子園では選抜高校野球大会が行われており、高校球児たちが熱い戦いを繰り広げている。また、3月25日にはプロ野球が開幕。ツイッターのトレンドワードにも野球関連のワードが次々と並ぶ。

野球の面白さの一つは、人間ドラマだ。選手だけではなく、コーチ、監督、裏方スタッフ、ファン…一人一人がドラマを持っている。

『甲子園への遺言 伝説のコーチ高畠導宏の生涯』(講談社刊)は、決して目立ちはしながいが、コーチとして幾多の名選手たちを育て上げ、晩年には甲子園を目指すため教員免許を取り、教師になった人物を追いかけた一冊だ。

◼︎落合、イチロー、小久保…名選手を育てた名コーチ

その人物は高畠導宏。選手としては代打の切り札として活躍。しかし、彼の真骨頂は打撃コーチとしての選手育成だ。彼が育てた選手を挙げるとビッグネームが並ぶ。

落合博満、西村徳文、飯田哲也、池山隆寛、山崎武司、小久保裕紀、イチロー、田口壮、サブロー…。約30年にわたり7球団で打撃コーチを務め、30人以上のタイトルホルダーを育てた。

しかし、50代半ばで「甲子園」を目指すため、5年かかりで教員免許を取得。筑紫台高校の社会科教師として教壇に上がる。しかし、夢なかばで病に倒れ、「余命6か月」のガン宣告を受ける。平成16年夏、膵臓癌で亡くなる。

◼︎「頑張れば何事もやれるということを伝えたい」

なぜ名コーチは高校教師になろうとしたのか。

もともとは選手たちの指導に生かすため、青年心理を学ぼうとしたのがきっかけだったという。いくら技術を取得しても、土壇場でその力を発揮できる選手とできない選手がいる。高畠氏は、自分の胸を指して「最後はここだよ」と、ハートの強さで決まることを周囲に話していた。

打撃コーチとして多忙を極めていた中、日本大学の通信教育学部に通い始め、この心理学の勉強はやがて「教育」そのものへの願望へ変わっていく。

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