さんまが“明石家”となった理由とは?「お笑いBIG3」が尊敬する男たち

日刊大衆

さんまが“明石家”となった理由とは?「お笑いBIG3」が尊敬する男たち

 今日もテレビ界で大暴れのお笑い帝王3人が私淑する「心の師」の正体――。スターが惹かれるスターとは!? BIG3が尊敬する「予想外の男たち」を丸ごとドンとお届け!!

 まず、「なんだっ、この野郎!!」というように、毒気が滴るビートたけし。彼が最も尊敬し、影響を受けた芸人は、師匠の故・深見千三郎以外にいないだろう。「たけしさんは、ストリップ劇場『フランス座』の幕間のコントをする深見さんを見て、スピードやリズム感、センス、時代感覚と、彼の芸に一発で惚れ込みました」(芸能プロ幹部)

 当時、浅草芸人が次々にテレビに進出する中、深見は最後まで“舞台芸人”であり続けた。知名度こそ高くはないが、根強いファンは多い。実際、深見の芸を見てきた、お笑い評論家で江戸川大学准教授の西条昇氏は、こう言う。「口調は荒く、ツッコミとボケには毒がある。一方、とぼけた味もあり、舞台上の出演者をすべて仕切ってコントロールできる。芸人としての力量は超一流でした。まさに、たけしさんの芸風の原型。今も、たけしさんのコントなどの動きの中に、深見さんの面影を色濃く感じることがあります」

 また、たけしがお笑いだけでなく、芝居や映画、歌、絵画などに活躍のフィールドを広げてきたのも、「芸人は芸を持て。楽器でもタップでもいい。舞台で客に見せられるレベルの芸を持て」「芸人は、いろんなことを知っておくべき。お笑いだけじゃなく、あらゆるもの。映画とか全部、気にしてないとダメだ」という深見の教えが、彼の骨の髄まで染みついているからだろう。

 だが、たけしはテレビの世界へと飛び出した。それに影響を与えたのが、もう一人の師匠たる故・立川談志だ。「深見さんに通じる毒舌芸ながら、かわいらしさもあって、テレビの時代にも受け入れられる大衆性を持っていたのが談志師匠でした。落語協会から独立し“立川流”を設立したり、国会議員になったら二日酔い会見で政務次官を辞任したり、常に世間を振り回すトリックスターであるのも、後のたけしさんと重なるように思えます」(前出の西条氏)

 この1~2年、「ビートたけし“ほぼ”単独ライブ」で舞台に立ったり、“立川梅春”の名で落語の高座に出たりと、原点回帰を隠さないビートたけし。そして、もう一人、彼が「最も尊敬する人」と言ってはばからないのが“ミスター”こと長嶋茂雄氏だ。「たけしさんは、野球少年だった子どもの頃、長嶋さんが来たという噂があるサウナを見に行くほどの長嶋ファン。特にお気に入りは、“勝っている試合で、わざとエラーをして観客を飽きさせなかった”との伝説。長嶋さんを“人をワクワクさせる天才”と絶賛しています」(前出の芸能プロ幹部) 生放送の特番では恒例の大暴走も、ミスターへのオマージュ!?

 続いては、「ファーーーーーッ!!」と甲高く笑う、明石家さんま。彼の師匠は、二代目笑福亭松之助。弟子入りを志願した折の逸話も、実に豪快で……。「さんまは、弟子入りする師匠を探すため、丸一日、いろんな落語を見た。その中で、松之助が一番面白いと判断し、弟子入りを志願。“なんでワシのとこなんか来たんや?”と聞く松之助に、“センスがよろしいから”と不遜な返事をしたものの、松之助は怒ることなく“おおきに”と言って、弟子入りを認めたそうです」(ベテランの放送作家)

 師弟ながら、さんまは“笑福亭”を冠さないが、「当初、“笑福亭さんま”という名で修業を始めたが、さんまが落語よりテレビに向いてると考えた松之助が、テレビタレントとして活動させるべく笑福亭を返上させ、松之助の本名“明石徳三”から“明石家”の屋号を授けたそうです」(前同)

 売れっ子になったさんまは、松之助の周囲に、「師匠がいい年をして、被り物でテレビに出るのを止めるよう忠告してくれ」と何度か頼まれたが、「それができる人だから、師匠に選んだんや」と突っぱねたという。

 安パイな笑いを唾棄する“気骨の男”・さんまが天才と手放しで称える同世代の男が、サザンオールスターズの桑田佳祐。「2007年の『明石家さんチャンネル』(TBS系)で、“いっぱい天才やと思う人はいてるけど、誰か一人言うたら、桑田佳祐”と明言。“胸騒ぎの腰つき”“思い出はいつの日も雨”“四六時中も好きと言って”など、彼の歌詞のセンスをベタ褒めです」(テレビ誌記者)

 桑田は、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)でさんまが演じたアミダばばあのテーマ曲『アミダばばあの歌』(1983年)の作者でもあるが、その後も、「86~87年の12月24日、桑田さんが中心となり、当時のトップアーティストを集めて放送した特番が『メリー・クリスマス・ショー』(日本テレビ系)。豪華なメンバーを集め過ぎて、大赤字になったと伝説の番組ですが、その司会を務めたのが、さんまさん。見る人をとことん楽しませようという、桑田さんのエンターテイナーとしての高い意識に、同世代のさんまさんは、刺激を受けたのではないでしょうか」(お笑い評論家のラリー遠田氏)

 また、さんまが、「アリの試合が衛星中継で生であった場合、僕、学校休んでたんですよ」と、懐かしい目で敬意を語った“アリ”とは、元プロボクサーのモハメド・アリのこと。「アリの“わざと打たせたボディは効かないんだ”という言葉に、感銘を受けているようです。一時、番組が立て続けに終了し、“さんまはもう終わり”ともいわれましたが、それでも後退をせず、結果を出してきた。その裏に、アリの言葉があったのかもしれません」(ラリー氏)

 なるほどと感心するが、「んなこたぁ~ない」と否定しそうなヒネクレ者、最後はタモリの登場だ。福岡で喫茶店のマスターを務めていたタモリを東京に呼び、自分の家に住まわせ、車も与え、芸を磨かせたのは、誰あろう漫画家の赤塚不二夫氏(故人)。「“バカなことは本気でやらないとダメ”と一緒になってバカをやり、遊びのときには、“ふざけるな! 真面目にやれよ”とタモリを叱ったという赤塚さんのマインドは、そのままタモリに受け継がれています。赤塚さんの葬儀で白紙の弔辞を読む一世一代のギャグを演じ、“私もあなたの数多くの作品の一つです”と締めたことが、2人の関係のすべてを物語っています」(ベテランの芸能記者)

 そんな曲者のタモリが、「いいと思う歌詞は小沢君だけ」とベタ褒めするミュージシャンが、小沢健二だ。「『笑っていいとも!』が終わる直前、タモリはテレフォンショッキングのゲストに、小沢を呼びました。彼のテレビ出演は実に16年ぶりで、特に感銘を受けた『さよならなんて云えないよ』を歌ってもらい、実にうれしそうでした。タモリは同曲が発売された95年、この曲を“生命の最大の肯定”と称えています。当時、“渋谷系の王子様”と呼ばれたオザケンを、先入観なく正しく評価した彼の柔軟さ、感性の鋭さに改めて驚きます」(前同) BIG3がBIGと認めたのは、やはり魅力にあふれた最高の男たちだった。

「さんまが“明石家”となった理由とは?「お笑いBIG3」が尊敬する男たち」のページです。デイリーニュースオンラインは、エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る