田中角栄 日本が酔いしれた親分力(11)強引にもぎ取った「勝機」! (1/2ページ)
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政治家
72年(昭和47年)1月5日午後3時、佐藤総理をはじめとする日米首脳会談に出席するメンバーは、雨の中、羽田空港を日航特別機で出発した。
田中系、それに福田系の1、2年生議員らに記者団を含めた30人近くが乗りこんだ。政治記者は福田派が4人、田中派が8人と、数の上で田中派が圧倒していた。ここからも、田中の意気込みがわかる。
田中は、今回の日米首脳会談のニクソン大統領の狙いを読んでいた。前年の10月に日米繊維交渉に関して一応の解決を見た現在、次期選挙で自分のポイントを稼ぐためにカリフォルニア州での印象をよくしておこう、というものである。
そんな状況を前提にして、田中は飛行機の中で作戦を立てていった。
〈いまニクソン大統領を救い、恩を売っておけば、自分に対するニクソンの心証もよくなる。ライバル福田との力関係も決定的になり、さらには佐藤さんの力を弱めることもできる〉
田中は、外務大臣でもなければ、本来なら今回の会談へついていく筋でもない。だが、この機会は田中の未来を変える重要なものになることを理解していた。
〈アメリカ側は、次期大統領候補のコナリー財務長官が来る。アメリカの次期大統領ともコネを持っておこう〉
また今回の同行には、アメリカ側に「次期総理は俺だよ」ということを、暗に主張する目的もあった。
そのため、田中は自分のそばに、地元の新聞「ロサンゼルス・タイムズ」の東京駐在員サム・ジェームソン記者をピタリとくっつけていた。今まで外国人記者が随行する例はなく、田中は万全の態勢でサンクレメンテ会談に臨んだ。
1月7日、ニクソン大統領は、佐藤総理との会談場から出ると、無蓋のゴルフカートを自ら運転し、正午からの昼食会の開かれるプールサイドに向かった。
ニクソン大統領は上機嫌で、佐藤を隣の席に乗せた。会談場から飛び出し、その光景を見た田中はとっさに判断した。
〈乗り遅れてなるものか〉
田中はゴルフカートに飛び乗った。後部の日米通訳官が腰かけるシートに割りこむように席を占めた。
ニクソン大統領は、昼食会場に到着すると田中の肩を叩き、抱きかかえんばかりにしてテーブルに案内した。